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春日大社御蓋山浮雲峰遙拝所・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社御蓋山浮雲峰遙拝所
●春日大社御蓋山浮雲峰遙拝所は奈良時代初期に平城京の守護の為、第1殿に祀られている祭神・武甕槌命が白鹿の背に乗って天降られた神蹟です。その後香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や枚岡神社の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)も鎮座し、神奈備として禁足地になりました。御蓋山の浮雲峰は春日大社の本殿を通り、平城京の大極殿まで続く尾根線上にあります。御蓋山は宮廷の正殿である大極殿に神様の力が伝わる場所ともされています。
御蓋山(三笠山(みかさやま))は標高約283メートルの山です。御蓋山は標高約497メートルの花山(はなやま)とともに春日山(かすがやま)とも言われ、御蓋山は前山(春日前山)、花山は奥山(春日奥山)とも言われています。春日山は古くから神奈備山(かんなびやま)として崇敬され、710年(和銅3年)の平城京遷都後に朝廷から尊ばれ、遣唐使が唐(中国)に渡る際に春日山付近で天神地祇(てんじんちぎ)を祀って航海の安全を願いました。奈良時代後期の768年(神護景雲2年)に春日大社の社殿が造営され、平安時代前期の841年(承和8年)に春日大社の神域として狩猟や伐採が禁じられました。ちなみに春日山に自生する榊は春日大社の神霊の依代として春日神木と称し、春日大社が強訴をする際に神木を押し立てたそうです。春日山は山岳信仰の修行場・祈雨の霊場ともされ、春日山石窟仏など多くの仏教遺跡が遺されています。
武甕槌命は茨城県鹿嶋市・鹿島神宮に祭神として祀られていたが、春日大社に勧請された際に白鹿に乗って来たとされ、鹿が神鹿(しんろく)と尊ばれるようになりました。武甕槌命は神産みにおいて、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を切り殺した際に剣に付着した血から甕速日神(みかはやひのかみ)・樋速日神(ひはやひのかみ)とともに化生(けしょう)したとされています。また出雲の国譲りにおいて、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に派遣され、国譲りの交渉を成功させたとされています。更に初代・神武天皇の東征において、思わぬ窮地に陥った際にふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救ったたされています。なお武甕槌命は雷神・剣の神とされています。また武甕槌命は建御名方神(たけみなかたのかみ)とともに相撲の元祖ともされています。
鹿島神宮は社伝によると紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇は宮崎・高千穂宮からの東征の半ばに思わぬ窮地に陥ったが、祭神・武甕槌大神のふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救われ、紀元前660年(神武天皇元年)に初代・神武天皇が奈良・橿原宮で即位した際、その神恩に感謝して武甕槌大神を勅祭したとも言われています。その後東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良時代・平安時代に国の守護神として篤く崇敬されました。鹿島神宮は千葉県香取市の香取神宮・茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社に数えられました。
春日大社見どころ