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春日大社御手洗川・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社御手洗川
●春日大社御手洗川は本殿4棟(国宝)の西側で、慶賀門(重要文化財)を入った場所を流れています。御手洗川は春日奥山を源とし、水谷川から分水して、春日大社の境内をさらさらと清浄な音を立てながら流れています。御手洗川は古くは御供用の水として汲み上げられたり、参拝者が手水として利用されたりしています。春日祭の際には勅使の手水の儀が慶賀門を入ったそばで行われています。
御手洗川は奈良公園東側にそびえる三笠山(若草山)と御蓋山(春日山)の間を源とし、大和川(やまとがわ)水系の一級河川・佐保川(さほがわ)に注ぐ吉城川(よしきがわ)が始まりです。吉城川は山峡を流れている間は水谷川(みずやがわ)とも言われています。なお吉城川は奈良公園を横切り、吉城園・依水園の一部に取り込まれています。
一般的に御手洗川は神社の近くを流れて、参拝者が体を清める為に口をすすぎ、手を洗い清める川のことです。御手洗川は古今和歌集の巻十一に「恋せじと みたらし川に せしみそぎ 神はうけずぞ なりにけらしも(よみ人しらず)」と詠まれています。
春日祭(申祭(さるまつり))は平安時代前期の849年(嘉祥2年)に始まったとも、850年(嘉祥3年)に始まったとも言われています。明治維新までは2月・11月の上の申の日に行われていたが、1886年(明治19年)からは3月13日に行われるようになりました。ちなみに859年(貞観元年)11月9日に行われて以来、2月だけでなく、11月にも行われるようになったそうです。春日祭はかつて藤原氏の祭りとして、藤原氏一族の氏長者である藤氏長者(とうしのちょうじゃ)・藤原氏が春日大社に置いた童女である斎女(いつきめ)やその使者が参詣し、朝廷も使者を派遣し、平安時代中期の947年(天暦元年)から興福寺(こうふくじ)が関与するようになりました。989年(永祚元年)に第66代・一条天皇が行幸し、摂関政治の繁栄とともに規模が拡大しました。ただ戦国時代以降に衰退しました。なお春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社・下鴨神社))の葵祭(あおいまつり)・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭(いわしみずさい)とともに三大勅祭に数えられました。
慶賀門は南北朝時代の1382年(弘和2年・永徳2年)~1385年(元中2年・至徳2年)に建立されたと言われています。慶賀門は内侍門(ないしもん)・清浄門(せいじょうもん)とともに西回廊にあり、西回廊の一番南側にあります。慶賀門は内侍門・清浄門と異なって天井板が格天井(ごうてんじょう)になっています。慶賀門はかつて藤原氏の大臣(だいじん)や上卿(しょうけい)が参入しました。現在の春日祭では勅使が藤原氏の場合、慶賀門から入って奉仕します。
春日大社見どころ