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春日大社水谷神社・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社水谷神社
●春日大社水谷神社は神山・春日山を源とする聖流・水谷川(吉城川・佐保川)沿いに建立されている春日大社の摂社です。水谷川沿いには上水谷神社・中水谷神社・下水谷神社が祀られ、水谷神社は上水谷神社の里宮である下水谷神社にあたります。水谷神社は平安時代中期の934年(承平4年)に興福寺の僧侶が勧請したのが始まりとも言われています。水谷神社は春日大社の中でも最も古い社のひとつと言われています。水谷神社では平安時代から幕末(江戸時代末期)までの神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代は祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神で、医薬の神として尊崇された牛頭天王(ごずてんのう)を祭神として祀っていました。現在、水谷神社では素盞鳴命(すさのおのみこと)・大巳貴命(おおなむちのみこと)・奇稲田姫(くしなだひめのみこと)を祭神として祀っています。牛頭天王と素盞鳴命は同一視され、大巳貴命(大国主神)は素盞鳴命の六世の孫、奇稲田姫は素盞鳴命の妻とされています。水谷神社には難病・疾病を封じ、地相・家相・方位・日柄などから生じる災難を取り除き、福徳円満をもたらすご利益があるとも言われています。なお拝殿の子授け石には子宝に恵まれる霊験があるとも言われています。
素盞鳴命は日本最古の正史「日本書紀」によると伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟とされています。素盞鳴命は乱暴で、恐れた天照大神が天の岩戸に隠れ、世の中は暗闇になり、困った八百万神が天安河の河原に集まって大宴会を行って岩戸を開かせたと言われています。また素盞鳴命は出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、救った櫛稲田姫命と結婚し、出雲の祖神になったとされています。
大己貴神は大国主命のことです。大国主命は日本最古の歴史書「古事記」・日本最古の正史「日本書紀」によると素盞鳴命の六世の孫で、日本国を創った神とされています。また出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神、出雲大社の祭神ともされています。
奇稲田姫は素盞鳴命が八岐大蛇を退治した際、素盞鳴命と結婚したと言われています。奇稲田姫は大山津見神(おおやまつみのかみ)の子・足名椎命(あしなづちのみこと)と手名椎命(てなづちのみこと)の8人の娘の一人です。
水谷神社では例年4月5日に鎮花祭(ちんかさい)が行われています。鎮花祭は鎌倉時代後期の1288年(正応元年)から行われているとも言われています。鎮花祭では夏場に向かって流行する疫病を鎮めます。鎮花祭では祢宜座狂言(ねぎざきょうげん)による大蔵流狂言(おおくらりゅうきょうげん)が奉納されます。狂言は室町時代頃から春日大社の神職が演じ、安土桃山時代の1593年(文禄2年)には関白・豊臣秀吉の命により、九州・名護屋城(なごやじょう)で演じました。
●春日大社水谷神社は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ