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春日大社内侍門・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社内侍門
●春日大社内侍門は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●春日大社内侍門は南北朝時代の1382年(永徳2年・弘和2年)~1385年(至徳2年・元中2年)に建立されたと言われています。内侍門は西回廊にある三つの門(清浄門(せいじょうもん)・慶賀門(けいがもん))の内、1番北側にある門です。なお内侍門はかつて斎女(いつきめ)・内侍(ないし)などの女性が参入する門でした。「貞観儀式」によると門の前には鳥居が建立されていました。
内侍門は潜ると前方南側に内侍の詰所であった内侍殿(移殿)があります。そして内侍門には萬葉植物園の正門南側から東側に真っすぐに内侍門に続く内侍道が残されています。
斎女は斎(いつ)き清めて神に仕える少女です。藤原氏は伊勢神宮(いせじんぐう)の斎宮(さいぐう)・賀茂社(かもしゃ)の斎院(さいいん)などに準え、春日大社(かすがたいしゃ)・大原野神社(おおはらのじんじゃ)などに奉仕させました。
内侍は令制における天皇などが住む後宮(こうきゅう)の内侍司(ないしのつかさ)の女官です。内侍には尚侍(しょうじ・ないしのかみ)・典侍(てんじ・ないしのすけ)・掌侍(しょうじ・ないしのじょう) などがあり、平安時代中期頃からは掌侍のことを指すようになりました。なお内侍は本来、天皇の日常生活に供奉(ぐぶ)する女官だったが、平安中期には妃・夫人など天皇の侍妾に代わる存在になりました。
内侍殿(移殿)は内侍門と同じ頃、南北朝時代の1385年(至徳2年・元中2年)~1388年(嘉慶2年・元中5年)に建立されました。内侍殿は桁行五間・梁間三間で、流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。内侍殿はかつて神前で奉仕をする内侍(女性)などが控えていました。現在、内侍殿は春日大社の本殿・その摂社である若宮神社(わかみやじんじゃ)の20年に一度の式年造替(しきねんぞうたい)の際、祭神の神霊が遷されています。
●春日大社内侍門は一間一戸の門で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ