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春日大社捻廊・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社捻廊
●春日大社捻廊は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●春日大社捻廊は江戸時代中期の1707年(宝永4年)~1709年(宝永6年)に造営されたと言われています。捻廊は移殿(うつしどの・内侍殿 (ないしでん))から中門(ちゅうもん)・御廊(おろう)を結ぶ渡り階段です。捻廊はかつて登廊(とうろう)とも言われていました。捻廊は斜めに階段が付けられ、柱・垂木(たるき)・桁などのほとんど部材が捻じれ、極めて高い技術を要することから江戸時代初期に活躍した大工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作とも説があります。
左甚五郎は安土桃山時代の1594年(文禄3年)に足利家家臣・伊丹左近尉正利(いたみさこんのじょうまさとし)の子・伊丹利勝(いたみとしかつ)として播磨国明石に生まれたとも言われています。父・伊丹左近尉正利が亡くなると叔父である飛騨高山藩士・河合忠左衛門(かわいちゅうざえもん)宅に身を寄せ、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に京都・伏見禁裏(きんり)大工棟梁(とうりょう)・遊左法橋与平次(ゆさほうきょうよへいじ)の弟子になりました。1619年(元和5年)に江戸に下り、将軍家大工頭・甲良宗広(こうらむねひろ)の女婿になり、堂宮大工棟梁として名を上げました。その後江戸城改築に参画したが、刺客に狙われて讃岐高松藩主・生駒高俊(いこまたかとし)のもとで庇護されました。1640年(寛永17年)に京都に戻って禁裏大工棟梁になり、法橋の官位を得ました。左甚五郎は日光東照宮の眠り猫・園城寺(三井寺)の閼伽井屋の龍・養源院の鶯張りの廊下・祇園祭の鯉山の鯉などを制作したとも言われています。左甚五郎は1651年(慶安4年)頃に亡くなりました。なお左甚五郎の名は左ききだった為とも、右腕をなくして左手で仕事をした為とも言われています。(諸説あり)
●春日大社捻廊は桁行二間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ