春日大社清浄門・春日大社見どころ

春日大社清浄門

●春日大社清浄門は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●春日大社清浄門は南北朝時代の1382年(永徳2年・弘和2年)~1385年(至徳2年・元中2年)に建立されたと言われています。清浄門は西回廊にある三つの門(内侍門(ないしもん)・慶賀門(けいがもん))の内、中央にある門です。春日大社清浄門はかつて興福寺(こうふくじ)の僧侶が出入りし、僧正門(そうじょうもん)とも言われました。現在は神職の通用門として利用されています。なお春日大社では例年1月2日に興福寺の僧侶が参詣し、般若心経(はんにゃしんぎょう)・唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)を読経しています。
清浄門の「清浄」には煩悩(ぼんのう)・私欲・罪悪などがなく、心が清らかで穢れ(けがれ)がないという意味があります。六根清浄(ろっこんしょうじょう)。
興福寺は飛鳥時代の669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(うじわらのかまたり)の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為、藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の次男・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺(なんとほくれい)と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。
●春日大社清浄門は一間一戸の門で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ

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