春日大社飛火野・春日大社見どころ(修学旅行・観光)

春日大社飛火野

●春日大社飛火野は一の鳥居から二の鳥居を通って、本殿に伸びる表参道と循環バスの通りの交差点から東南に広がる芝生の原のことを言います。飛火野は古くは「とぶひの」ととも言われ、鹿島大明神(かしまだいみょうじん・武甕槌命(たけみかづちのみこと))が鹿島神宮から春日の地に白い鹿に乗って天降られた際、八代尊が光明の為に口から火を吐き、その炎がいつまでも消えずに飛んでいる様に見えたとも言われ、飛火野の名称の由来にもなっています。また飛火野はかつて「春日野(かすがの)」とも言われ、古代に祭祀が行われた場所とも言われています。飛鳥時代からは貴族が打球・若菜摘み・花見なども行っていたとも言われています。奈良時代初期の第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の時代、712年(和銅5年)に急を告げる烽火台(のろしだい)が置かれました。飛火野は万葉などの古歌に詠まれ、歌枕にもなっています。「野は嵯峨野(さがの)さらなり。印南野(いなみの)。交野(かたの)。駒野(こまの)。とぶひの」と詠まれました。なお現在、飛火野では春日の大とんど・鹿寄せなどの行事・イベントが行われています。
武甕槌命は茨城県鹿嶋市・鹿島神宮に祭神として祀られていたが、春日大社に勧請された際に白鹿に乗って来たとされています。武甕槌命は神産みにおいて、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を切り殺した際、剣に付着した血から甕速日神(みかはやひのかみ)・樋速日神(ひはやひのかみ)とともに化生(けしょう)したとされています。また出雲の国譲りにおいて、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に派遣され、国譲りの交渉を成功させたとされています。更に初代・神武天皇の東征において、思わぬ窮地に陥った際にふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救ったたされています。なお武甕槌命は雷神・剣の神とされています。
鹿島神宮は社伝によると紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇は宮崎・高千穂宮からの東征の半ばに思わぬ窮地に陥ったが、祭神・武甕槌大神のふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救われ、紀元前660年(神武天皇元年)に初代・神武天皇が奈良・橿原宮で即位した際、その神恩に感謝して武甕槌大神を勅祭したとも言われています。その後東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良時代・平安時代に国の守護神として篤く崇敬されました。なお鹿島神宮は千葉県香取市の香取神宮・茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社に数えられました。
春日の大とんどでは飛火野に火炉を設置し、正月の注連縄(しまなわ)飾り・古いお札・お守りなどを焚き上げ、無病息災・五穀豊穣などを祈願します。ちなみに春日の大とんどの御神火は夕方から行われる若草山焼きの火種になります。なお若草山焼きは先人の鎮魂と慰霊、防災と世界の平安を祈願する為に行われているそうです。
鹿寄せは1892年(明治25年)から行われています。ただかつては冬場だけに行われていたそうです。鹿寄せではナチュラルホルンでベートーヴェン作曲の「田園」などが奏で、その音色により、鹿を飛火野に集めます。ちなみに奈良公園一体には1,000頭以上のニホンジカが生息し、天然記念物になっています。
春日大社見どころ

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