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吉田寺多宝塔・吉田寺見どころ(修学旅行・観光)
吉田寺多宝塔
●吉田寺多宝塔は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●吉田寺多宝塔は心柱の墨書銘によると室町時代中期の1463年(寛正4年)に建立されました。多宝塔は高さ約12メートルの小ぶりだが、均整のとれた美しい塔と言われています。多宝塔には秘仏・大日如来(だいにちにょらい)像が安置されています。大日如来像は吉田寺開山である恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の父・占部正親(うらべまさちか)の追善の為に安置されているとも言われています。
一般的に多宝塔は日本で上層を円形、下層を方形とした二重塔を言います。多宝塔は平安時代に密教が天台宗(てんだいしゅう)の開祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)や真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)によって伝えられ、多宝塔も建立されるようになったとも言われています。多宝塔は元々東方の宝浄国(ほうじょうこく)の教主・多宝如来(たほうにょらい)を安置する堂塔です。多宝塔はお釈迦様が大乗仏教の経典「法華経(ほけきょう)」を説いた際、空中に七宝(しちほう)の塔が現われ、塔中の多宝如来がお釈迦様(釈迦如来(しゃかにょらい))に讚嘆(さんたん)して半座(はんざ)を空け、二如来が並座したと言われることに由来しています。
大日如来は真言密教(しんごんみっきょう)の教主で、宇宙の実相を仏格化した根本仏(こんぽんぶつ)とされています。大日如来は太陽神が起源とされ、宇宙の根元で、諸仏(しょぶつ)・諸菩薩(しょばさつ)の本地(ほんじ)とされています。なお大日如来は平安時代前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が密教とともに中国・唐から日本に伝えました。大日如来は日本の密教において最高仏として位置付けられ、大日信仰が成立しました。
占部正親(卜部正親)は資料が多くありません。占部正親は恵心僧都・源信の父で、妻は清原氏とされています。妻は極めて道心深く、源信が天台宗の僧になり、自身と源信の妹3人も尼僧になったと言われています。なお占部(卜部)氏は亀甲(きっこう)を焼くことで現れる亀裂の形(卜兆)によって吉凶を占う亀卜(きぼく)を行った氏族と言われています。
●吉田寺多宝塔は三間多宝塔の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
本瓦葺です。本堂は向拝(こうはい)一間です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
吉田寺