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金峯山寺愛染堂・金峯山寺見どころ(修学旅行・観光)
金峯山寺愛染堂
●金峯山寺愛染堂は江戸時代中期の1770年(明和7年)に経蔵として建立され、その後護摩堂に改められ、1983年(昭和58年)に本堂に安置されていた愛染明王が移され、愛染堂に改められました。愛染堂には明治維新後に廃寺になった安禅寺(あんぜんじ)に祀られていた愛染明王が安置されています。愛染堂では例年11月27日に愛染堂大祭が催され、堂内で護摩法要が行われます。なお愛染明王は愛を成就させてくれる霊験があるとも言われ、女性から信仰を集めているそうです。
愛染明王は大愛欲(あいよく)大貪染(とんぜん)の三昧に住む明王で、真言密教(しんどんみっきょう)の教主・大日如来(だいにちにょらい)または菩薩の一尊・金剛愛菩薩(こんごうあいぼさつ)を本地とし、大日如来・金剛愛菩薩が仮の姿で現れる仮現(けげん)と言われています。愛染明王は平安時代初期に日本に伝わったとも言われ、その後恋愛成就・美貌を願って信仰されるようになりました。愛染明王は愛欲などの迷いが悟りにつながることを示し、外見が悪を降伏し、威圧する忿怒相(ふんぬそう)だが、内面は愛をもって衆生(しゅじょう)を解脱させます。愛染明王は尊容が一面三目六臂(ろっぴ)の忿怒相(ふんぬそう)で、獅子冠(ししかむり)を被り、手に金剛鈴(こんごうれい)・金剛弓(こんごうきゅう)・拳(けん)・五鈷杵(ごこしょ)・金剛箭(こんごうせんい)・蓮華(れんげ)を持ち、蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ)しています。愛染明王は身色が真紅で表現されます。
安禅寺(飯高山(はんこうざん)安禅寺)はかつて吉野の奥千本に建立されていたが、明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺になりました。安禅寺は平安時代前期に千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)の祖とされる天台宗(てんだいしゅう)の僧・相応和尚(そうおうかしょう・建立大師(こんりゅうだいし))が創建したとも言われています。報恩大師または高算上人が塔を建立し、本堂・多宝塔・持仏堂・宝塔などが建立されていたとも言われています。安禅寺は吉野奥院(奥之院)とも言われ、金峯山寺満堂派として栄えていたが、明治維新後に廃寺になりました。ちなみに本尊である像高約4.59メートルの蔵王権現(重要文化財)や愛染明王が金峰山寺、護摩堂が善福寺、門が桜本坊に移されたと言われています。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
●金峯山寺愛染堂は宝形造(ほうぎょうづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
金峯山寺見どころ