金峯山寺仏舎利宝殿・金峯山寺見どころ(修学旅行・観光)

金峯山寺仏舎利宝殿

●金峯山寺仏舎利宝殿は1967年(昭和42年)に初代官長・五條覚澄(ごじょう かくちょう)大僧正がインドに渡った際、ガンジー首相からお釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり)を戴き、仏舎利宝殿を建立しました。金峯山寺開基・役行者(えんのぎょうじゃ)は釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)の応現身とされています。仏舎利宝殿では役行者が金峯山で感得した金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)が出現した山上ヶ岳(さんじょうがたけ)の湧出岩から採火した聖火と比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)から来迎した不滅の法燈(ふめつのほうとう)を宝前に掲げ、仏舎利不滅の法燈として、お釈迦様の遺法を伝えています。
役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女の子として大和国葛城上郡茅原で生まれたとも言われました。17歳で奈良・元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峰などで山岳修行を続け、奈良吉野・金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰・山修行・密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。しかし弟子・韓国連広足が師・役行者の能力を妬み、妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴し、699年(文武3年)に伊豆島に流罪になりました。701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷に戻り、6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で68歳で亡くなったとも言われています。
仏舎利は入滅したお釈迦さまが荼毘に付された際の遺骨を指します。お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(マーヤー)との間に生まれました。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
山上ヶ岳は奈良県吉野郡天川村にある標高約1,719メートルの山です。山上ヶ岳一帯は古くから修験道の山とされ、山伏の行場です。山上ヶ岳は吉野から熊野に続く山々は大峯山とも言われ、山上ヶ岳の頂上付近に大峯山寺の蔵王堂が建立されています。なお山上ヶ岳に通じる登山道には女人禁制を示す女人結界門が建立されています。
不滅の法燈は根本中堂(国宝)の須弥壇前の3つの燈籠です。不滅の法灯は788年(延暦7年)の比叡山延暦寺開山以来、1,200年以上灯し続けてきたと言われています。ただ1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちによって一時途絶え、通称山寺と言われる山形・立石寺に分灯していたものから分灯されました。
延暦寺は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が自ら刻んだ薬師如来を本尊とする一乗止観院を創建したのが起源と言われています。一乗止観院は比叡山寺とも言われていたそうです。791年(延暦10年)に第50代・桓武天皇の御願寺になり、806年(大同元年)に勅許によって天台宗が公認され、824年(弘仁14年)に第52代・嵯峨天皇から最初の年号寺「延暦寺」が許されました。
金峯山寺見どころ

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