金峯山寺銅鳥居・金峯山寺見どころ(修学旅行・観光)

金峯山寺銅鳥居

●金峯山寺銅鳥居は1942年(昭和17年)12月22日に国の重要文化財に指定されました。
●金峯山寺銅鳥居は南北朝時代の1348年(正平3年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の側近・高師直(こうのもろなお)の兵火で焼失し、室町時代中期(1393年~1466年)に再建されました。銅鳥居には奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が東大寺に大仏(銅造盧舎那仏坐像)を造立した際、その余銅で建立されたという伝説が残されています。銅鳥居は扁額に「発心門(ほっしんもん)」と書かれ、正しくは発心門と言います。吉野から大峯山(おおみねさん・山上ヶ岳(さんじょうがたけ))までの修行道には四門(発心門・修行門(しゅぎょうもん)・等覚門(とうかくもん)・妙覚門(みょうかくもん))があり、発心門が最初の門になっています。行者は発心門から向こうを冥土と見たて、門をくぐるごとに俗界を離れ、修行する決心を強めて行くそうです。行者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅の鳥居に手をかけて、弥陀の浄土に入るぞうれしき」と唱えます。なお銅鳥居は厳島神社(いつくしまじんじゃ)の朱塗りの鳥居・大阪四天王寺(してんのうじ)の石の鳥居とともに日本三鳥居に数えられています。(諸説あり)
大峯山(大峰山)は狭義に標高約1,719メートルの山上ヶ岳(さんじょうがたけ)、広義に大峰山脈を指します。また大峰山脈の内、北部を金峰山(きんぶせん)と言うと南部を大峯山とも言います。ちなみに大峰山脈は南北約50キロに連なり、山上ヶ岳や最高峰である標高約1,915メートルの八経ヶ岳(八剣山)・大天井ヶ岳・大普賢岳・弥山・釈迦ヶ岳・大日岳・地蔵岳・玉置山などがそびえ、大和アルプスとも言われています。大峯山は飛鳥時代後期頃に修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が開山し、平安時代中期頃に理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が中興し、修験道の根本道場・霊山になっています。大峯山一帯では2004年(平成16年)にユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として、大峯山寺・大峯奥駈道などが登録されました。なお大峯山は女人禁制です。
大仏は勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると740年(天平12年)2月に第45代・聖武天皇が難波宮(なにわのみや)行幸の際、河内六寺に数えられた知識寺(ちしきじ)で盧舎那仏像を拝したことが大仏造立のきっかけとなったと言われています。743年(天平15年)11月5日に聖武天皇が近江国・紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏造立の詔を発し、紫香楽宮近くの甲賀寺(こうかでら)で大仏の造立が始まり、744年(天平16年)12月21日に大仏の骨柱が立てられたと言われています。その後745年(天平17年)に都が5年振りに平城京(へいじょうきょう)に戻ると同年9月23日から平城東山の山金里(東大寺)で大仏造立が開始され、747年(天平19年)11月6日から大仏の鋳造が開始され、749年(天平勝宝元年)12月8日に大仏の鋳造が終了し、752年(天平勝宝4年)5月26日に大仏開眼供養会が行われました。
●金峯山寺銅鳥居は銅製の明神鳥居です。銅鳥居は高さ約7.5メートル・柱周り約3.3メートルです。
一般的に鳥居は神社などの神域と人間が住む俗界を区画する結界で、神域への入口を示しています。鳥居には木材(檜・杉など)で造られた木鳥居、石で造られた石鳥居、銅板で全体を葺いた銅鳥居・金鳥居(かなどりい)などがあります。また鳥居にはその形式により、明神鳥居(みょうじんとりい)・神明鳥居(しんめいとりい)・両部鳥居(りょうぶとりい)・春日鳥居(かすがどりい)・住吉鳥居(すみよしどりい)・鹿島鳥居(かしまどりい)・三輪鳥居(みわとりい)などがあります。
金峯山寺見どころ

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