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金峯山寺観音堂・金峯山寺見どころ(修学旅行・観光)
金峯山寺観音堂
●金峯山寺観音堂は室町時代に本堂(蔵王堂)前に建立されました。観音堂は十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像を本尊、阿難尊者(あなんそんじゃ)立像・迦葉尊者(かしょうそんじゃ)立像を脇侍(きょうじ)として安置しています。阿難尊者立像・迦葉尊者立像は廃寺になった世尊寺(せそんじ)に安置されていたとも言われています。観音堂では例年4月18日に大祭が行われています。大祭では大般若経(だいはんにゃきょう)六百巻を転読し、家内安全・身体健全が祈願します。
一般的に観音堂は観音菩薩を祀る仏塔です。観音堂は観音菩薩がインド南端の海岸にある霊場・補陀落山(ふだらくせん)に降りたったとされることから海岸や山の懸崖の上などに多くが建立されています。
十一面観音像は頭部に11の顔を持つ菩薩です。十一面観音像は前3面は慈悲相、左3面は忿怒相、右3面は白牙上出相、後1面は大笑相、頂上1面は仏果を表わしています。十一面観音像は観音菩薩の変化身の一つで、六観音の一尊です。十一面観音像は唐代以降の中国で盛んに信仰され、奈良時代から日本で信仰を集めました。
阿難尊者はお釈迦さまの十大弟子の一人で、お釈迦さまの侍者として25年間仕え、常に説法を聴いて全て記憶したことから多聞第一(たもんだいいち)と称せられました。阿難尊者はお釈迦さまの従弟(いとこ)も言われています。なお十大弟子は舎利弗・摩訶目けん連・摩訶迦葉・須菩提・富楼那弥多羅尼子・摩訶迦旃延・阿那律・優波離・羅ご羅・阿難陀です。
迦葉尊者はお釈迦さまの十大弟子の一人で、衣食住に対する欲望を払い除けて修行し、頭陀第一(ずだだいいち)と称せられました。お釈迦さまの入滅後に教団を指導し、第1回の経典結集(けつじゅう)を行いました。
世尊寺は第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が父・用明天皇の勅によって創建した吉野寺が起源とも言われています。吉野寺は聖徳太子建立四六寺院のひとつで、法興寺・大阪四天王寺・法隆寺とともに聖徳太子建立四大寺院に数えらたそうです。ちなみに世尊寺の本尊・阿弥陀如来は日本最古の正史「日本書紀」によると日本最初の仏像とも言われているそうです。平安時代に宇多上皇(第59代・宇多天皇)などが吉野参詣した際に世尊寺にも参詣して栄えたが、その後は衰退しました。
●金峯山寺観音堂は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
金峯山寺見どころ