金峯山寺仁王門・金峯山寺見どころ(修学旅行・観光)

金峯山寺仁王門

●金峯山寺仁王門は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。
●金峯山寺仁王門は軒先に吊るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代中期の1456年(康正2年)に再建されたと言われています。また仁王門は寺伝によると南北朝時代の1339年(延元3年)に南都大仏師・康成(こうじょう)が造仏した金剛力士像(重要文化財)を安置し、1339年(延元3年)頃に再建されたとも言われています。2019年(令和元年)7月から仁王門・金剛力士像の大修理が開始され、2028年に仁王門の大修理が完成する予定です。仁王門の修理は約70年振りになります。ちなみに修理が終わった金剛力士像は仁王門の修理完了まで奈良国立博物館で特別公開されます。(要確認)仁王門は本堂(蔵王堂)北側に建立され、北側を正面とする仁王門と南側を正面とする本堂が背を向けるように建立されています。背を向けるように建立されている仁王門・本堂には南側の熊野から北側の吉野に向かう参詣者と北側の吉野から南側の熊野に向かう参詣者の両者への配慮があると言われています。仁王門は左右に東大寺に次いで、日本で2番目に大きいとも言われる像高約5.1メートルの金剛力士像(仁王像)を安置しています。
一般的に仁王門は仏教・寺院を守護し、仁王(二王)とも言われる金剛力士像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯の一部が発見されました。なお日本では飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士は仏教において天界に住む天部で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)などがあります。金剛力士像は像容が上半身裸形で、筋骨隆々としています。阿形の金剛力士像は怒りの表情を表し、左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持っています。吽形の金剛力士像は怒りを内に秘めた表情を表し、右手の指を開いています。
●金峯山寺仁王門は三間一戸(さんげんいっこ)二重門(にじゅうもん)で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。仁王門は高さ約20.3メートルの二階建て、日本屈指の山門とも言われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
金峯山寺見どころ

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