小泉神社本殿・小泉神社見どころ(修学旅行・観光)

小泉神社本殿

●小泉神社本殿は1920年(大正9年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●小泉神社本殿は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されました。ちなみにこの地には中世に小泉氏の居館、近世に片桐氏の陣屋が置かれ、小泉神社は小泉氏や村人が祀った鎮守社が始まりとも言われています。「大和志料」によると戦国時代(室町時代後期)の1535年(天文4年)に小泉四郎左衛門が社殿を改築し、江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)に修理が行われました。本殿には素戔鳴命(すさのおのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)が祀られています。また境内社には雨乞いの神である九頭天王社も祀られています。
素戔鳴命は日本最古の正史「日本書紀」によると伊奘諾尊と伊奘冉尊の子で、天照大神の弟とされています。父・伊奘諾尊から海原の支配を命じられたが、使命を果たさなかったことから根の国に追放されました。高天原に天照大神を訪ねたが、素戔鳴命が攻めて来たと考えた天照大神は武装して応対し、素戔鳴命は疑いを解く為に誓約を行って邪心のないことを証明しました。しかし高天原で乱暴を行った為、天照大神が怒って天の岩戸に隠れ、高天原から追放されました。素戔鳴命は出雲国簸川のほとりに降り、八岐大蛇を退治し、救った櫛稲田姫命と結婚し、大国主神(大己貴神)が産まれ、出雲の祖神になりました。素戔鳴命は八岐大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じました。その後天叢雲剣(草薙剣)は八咫鏡・八尺瓊勾玉とともに三種の神器になりました。
誉田別命は第15代・応神天皇のことです。第15代・応神天皇は第14代・仲哀天皇と后・神功皇后の第4皇子です。200年(仲哀天皇9年)に三韓征伐の帰途に神功皇后が生んだとされています。胎中天皇とされ、かご坂皇子・忍熊皇子という仲哀天皇の異母兄達が叛乱を起こしたが、神功皇后が鎮圧して排除しました。203年(神功皇后摂政3年)に立太子し、270年(応神天皇元年)に天皇に即位しました。在位中に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展し、巨大な陵墓が天皇の権力の強大さを示していると言われています。在位中に朝鮮半島から阿直岐・弓月君・王仁・阿知使主らが渡来し、養蚕・織物・灌漑・治水技術などをもたらしました。第15代・応神天皇は310年(応神天皇41年)に111歳で崩御したとも言われています。
●小泉神社本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は春日造としてかなり装飾的で、屋根に千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)をのせ、身舎(もや)の舟肘木(ふなひじき)・向拝(こうはい)の連三斗(つれみつと)が珍しい形になっています。また浜床(はまゆか)の上に置高欄(おきこうらん)が据えられ、類例が少ない形式になっています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。

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