興福寺不動堂・興福寺見どころ(修学旅行・観光)

興福寺不動堂

●興福寺不動堂は南円堂(重要文化財)前(東側)に建立されている小堂です。不動堂には不動明王像・弘法大師像などが安置されています。不動堂では堂内で護摩(ごま)が行われ、堂内の壁や仏像に黒いスス(煤)が付いています。ちなみに不動堂では堂前で護摩木を購入し、奉納することもできます。なお不動堂周辺には額塚・右近の橘・一言観音堂・納経所・無料休憩所などがあります。
不動明王は密教の根本尊である大日如来(だいにちにょらい)の化身(けしん)とされ、五大明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))の中心となる明王です。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索(さく)を持ち、全ての悪と煩悩(ぼんのう)を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。なお不動明王はヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が起源とされ、平安時代初期の804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡った真言宗の宗祖である弘法大師・空海が806年(大同元年)に密教とともに唐から不動明王の図像を持ち帰ったと言われています。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公と母・阿刀大足の妹の間に生まれました。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗・真言宗で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
●興福寺不動堂は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
興福寺見どころ

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