興福寺五重塔・興福寺見どころ(修学旅行)

興福寺五重塔

●興福寺五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●興福寺五重塔は730年(天平2年)に開基・藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘で、第45代・聖武天皇の皇后である光明皇后(こうみょうこうごう)の発願によって建立されたが、その後1411年(応永18年)など5回の焼失・再建を経て、室町時代中期の1426年(応永33年)頃に再建されました。
光明皇后(安宿媛・あすかべひめ)は701年(大宝元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)と県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)の三女として生まれました。その後皇太子であった第45代・聖武天皇と結婚し、非皇族初の皇后(第45代・聖武天皇の妻)になりました。718年(養老2年)に阿倍内親王(第46代・孝謙天皇、第48代・称徳天皇)を産み、724年(神亀元年)の第45代・聖武天皇の即位とともに後宮の位階・夫人号を賜りました。727年(神亀4年)11月16日に皇太子・基王(基皇子(もといのみこ))を産んだが、728年(神亀5年)10月20日に亡くなりました。長屋王(ながやおう)の変後の729年(天平元年)8月10日に皇后の詔が発せられました。749年(天平勝宝元年)に夫で、第45代・聖武天皇が娘・阿倍内親王(第46代・孝謙天皇)に譲位し、756年(天平勝宝8年)5月2日に第45代・聖武天皇が崩御し、760年(天平宝字4年)7月27日に亡くなりました。光明皇后は第45代・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、第45代・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院(せやくいん)や貧窮者・孤児の為の悲田院(ひでいん)などを設置しました。
●興福寺五重塔は高さ約50.1メートルで、京都・東寺(とうじ)の五重塔に次ぐ、日本で2番目に高い五重塔です。興福寺五重塔は初層の四方にいずれも室町時代作の薬師三尊(やくしさんぞん) 像・釈迦三尊(しゃかさんぞん)像・阿弥陀三尊(あみださんぞん)像・弥勒三尊(みろくさんぞん)像を安置しています。
一般的に五重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、7世紀後半の飛鳥時代に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔が日本最古の五重塔です。なお五重塔は外観が基壇・塔身・相輪(そうりん)からなり、五重の屋根が下から地(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花(うけばな))・空(宝珠(ほうじゅ))を表し、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
一般的に日本の仏塔の形式は三重塔・五重塔です。ただ七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
興福寺見どころ

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