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興福寺大湯屋・興福寺見どころ(修学旅行・観光)
●興福寺大湯屋は1953年(昭和28年)3月31日に国の重要文化財に指定されました。
●興福寺大湯屋は平安時代に建立されたが、その後数回被災・再建を繰り返し、五重塔と同じ1426年(応永33年)頃に再建されました。
●興福寺大湯屋は奈良時代には建立されていたとも言われるが、文献による初見は平安時代になります。なお大湯屋では湯を沸かし、東に建てられていた建物に湯を送って蒸し風呂にしたりしていと言われるが、その建物は残されていません。
一般的に湯屋は浴場のある建物です。古くから神道では川や滝で沐浴(もくよく)の一種である禊(みそぎ)が行われていました。飛鳥時代に仏教が伝来すると僧侶が沐浴する浴堂(湯堂)などが建立されました。ただ入浴は湯に浸かるのではなく、薬草などを入れた湯を沸かし、蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式でした。その後社寺などに参籠する大衆用の潔斎浴場(けっさいよくじょう)も別に建てられ、大湯屋と称しました。平安時代には上級の公家の屋敷内に蒸し風呂の浴堂が取り入れられるようになり、清少納言(せいしょうなごん)の随筆「枕草子(まくらのそうし)」にも蒸し風呂の様子が記されています。ちなみに僧侶は潔斎の為に早くから湯を別の湯槽に入れて行水することもあったが、大衆は長く蒸し風呂形式で、江戸時代初期に湯に浸かる浸す方式になりました。なお古代の浴堂・大湯屋は残っていないが、鎌倉時代以後に東大寺(とうだいじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)などで再建された湯屋が残されています。
●大湯屋は桁行四間(正面約11.7メートル)・梁間四間(側面約10.6メートル)で、東面の屋根が切妻造(きりづまづくり)、西面の屋根が入母屋造(いりもやづくり)です。大湯屋は内部は床を敷かず、地面に鉄湯釜(奈良県指定文化財)を南北に2口置いています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
興福寺見どころ