興福寺三重塔・興福寺見どころ(修学旅行)

●興福寺三重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●興福寺三重塔は1143年(康治2年)に第75代・崇徳天皇の中宮・皇嘉門院(こうかもんいん・藤原聖子(ふじわらのせいし))が建立したが、その後平安時代末期の1180年(治承4年)に焼失し、間もなく鎌倉時代前期に再建されたと言われています。三重塔は北円堂とともに山内最古の建物とも言われています。
皇嘉門院(藤原聖子)は1122年(保安3年)に摂政関白太政大臣・藤原忠通(ふじわらのただみち)と権大納言・藤原宗通(ふじわらのむねみち)の娘・藤原宗子(ふじわらのそうし)の長女として生まれました。1129年(大治4年)に第75代・崇徳天皇に入内して女御になり、1130年(大治5年)に中宮になりました。摂関家からの入内は第70代・後冷泉天皇の皇后・寛子以来、80年振りだったが、一人の子女も産まれませんでした。その後鳥羽法皇(第74代・鳥羽天皇)の皇子・體仁親王(第76代・近衛天皇)の准母になり、體仁親王が第76代・近衛天皇に即位した1141年(永治元年)に皇太后になり、1150年(久安6年)に院号宣下を受けて皇嘉門院と号しました。皇位継承問題や摂関家の内紛による1156年(保元元年)の保元の乱(ほうげんのらん)では夫・崇徳上皇(第75代・崇徳天皇)と第77代・後白河天皇方の父・藤原忠通が戦い、敗れた崇徳上皇は讃岐国へ配流され、皇嘉門院は出家して清浄恵(せいじょうえ)と号し、1163年(長寛元年)に再出家して蓮覚(れんがく)と号しました。ちなみに天皇・上皇の配流は第47代・淳仁天皇の淡路国配流以来、約400年振りの出来事で、崩御するまで爪や髪を伸ばし続けて夜叉(やしゃ)のような姿になり、怨霊伝説も残されています。なお皇嘉門院は1182年(養和元年)に亡くなりました。
●興福寺三重塔は高さ約19.1メートルの三間三重塔婆です。興福寺三重塔では初層内部の東に薬師如来(やくしにょらい)、南に釈迦如来(しゃかにょらい)、西に阿弥陀如来(あみだにょらい)、北に弥勒如来(みろくにょらい)が各1,000体描かれ、東側須弥壇(しゅみだん)に弁才天(べんざいてん)坐像とその諸尊(十五童子(じゅうごどうじ))が安置されています。
一般的に三重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、飛鳥時代の684年(天武13年)~706年(慶雲3年)に建立された法起寺(ほうきじ)の三重塔が日本最古の三重塔です。
一般的に日本の仏塔の形式は三重塔・五重塔です。ただ七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
興福寺見どころ

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