金峯山寺高祖会2019/6/7(日程時間・・・)

金峯山寺高祖会

金峯山寺高祖会(日程・時間・・・)を紹介しています。高祖会は毎年6月7日に行われています。高祖会では修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)の命日である6月7日にその遺徳を偲びます。高祖会では蔵王堂(国宝)で古法に添った法衣を着けた千衣法要が行われます。千衣法要では如来の袈裟を一針三礼で縫い上げるそうです。(詳細下記参照)

【金峯山寺高祖会2019 日程時間(要確認)】
金峯山寺高祖会2019は2019年(令和元年)6月7日(金曜日)11:00から行われます。

【金峯山寺高祖会 アクセス・地図】
場所・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
最寄り駅・バス停・・・吉野山駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄吉野線・吉野駅から吉野ロープウェイ

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【金峯山寺高祖会 歴史・簡単概要】
金峯山寺高祖会(こうそえ)では修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)の命日である6月7日にその遺徳を偲びます。高祖会では蔵王堂(国宝)で古法に添った法衣を着けた千衣法要(せんねほうよう)が行われます。千衣法要では如来の袈裟を一針三礼で縫い上げるそうです。
役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女との間に奈良御所市茅原(大和国葛城上郡茅原)で生まれたとも言われ、誕生地には吉祥草寺(きっしょうそうじ)が創建されています。その後17歳で奈良・元興寺(がんごうじ)で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峯で山岳修行を続け、吉野金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰や山修行と外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。しかし弟子・韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が師・役行者の能力を妬み、鬼神を使役とした妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴(ざんそ)したことから699年(文武3年)に伊豆に流罪になったが、701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷・御所市茅原に戻り、6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で68歳で亡くなったと言われています。
蔵王堂(本堂)は扉金具の銘から1592年(天正19年)に豊臣家が再建しました。蔵王堂は高さ約34メートル・奥行約36メートル・幅約36メートルで、木造の古建築として、東大寺の大仏殿に次ぐ規模とも言われています。なお蔵王堂は秘仏とされる本尊・蔵王権現立像3躯(重要文化財)を安置しています。

【金峯山寺 歴史・簡単概要】
金峯山寺(きんぷせんじ)は起源が明確ではありません。金峯山寺は白鳳年間(7世紀後半)に大峰山寺(おおみねさんじ)とともに修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が金峯山での修行中に感得した蔵王権現を自ら刻んで開祖したとも言われています。金峯山寺と大峰山寺は元来金峯山寺として蔵王権現像を祀り、金峯山寺は吉野山、大峰山寺が大峯山系(大峰山脈)の山上ヶ岳(約1719.2メートル)の山頂にあることから金峯山寺の本堂は山下(さんげ)の蔵王堂、大峰山寺の本堂は山上の蔵王堂と言われていました。金峯山寺は大峰山寺と約20キロほど離れているそうです。ちなみに大峰山寺と金峯山寺に分かれるのは近代以降のことだそうです。明治維新後に修験道が禁止され、一時期廃寺になったが、1886年(明治19年)に天台宗の寺院として復興し、1948年(昭和23年)には金峯山修験本宗を立宗し、総本山になりました。なお金峯山寺は2004年(平成16年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)のひとつに登録されました。
金峯山寺は金峰山修験本宗の総本山です。
*参考・・・金峯山寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ金峯山寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【金峯山寺高祖会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金峯山寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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