室生寺弥勒堂・室生寺見どころ(修学旅行)

室生寺弥勒堂

●室生寺弥勒堂は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●室生寺弥勒堂は修圓(しゅえん・修円)が興福寺(こうふくじ)に伝法院として建立され、その後鎌倉時代前期(1185年~1274年)に移されたと言われています。鎌倉時代の「宀一山図」に「伝法院(でんぽういん)」という堂名が記されます。その後を室町時代に南向きから東向きに変えられ、江戸時代初期に改造されました。
修圓(修円)・てい生禅師(ていしょうぜんじ)は奈良時代の771年(宝亀2年)に大和国北谷に生まれました。法相宗(ほっそうしゅう)の大本山・興福寺の僧・賢憬(けんけい)に法相を学びました。修圓は賢憬とともに室生寺を創建し、伽藍を整備したとも言われています。平安時代初期の794年(延暦13年)に比叡山(ひえいざん)・延暦寺(えんりゃくじ)の根本中堂の落慶供養の際にその堂達を務め、805年(延暦24年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)から灌頂(かんじょう)を受けました。修圓は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)とも親しかったと言われています。810年(弘仁元年)に律師(りっし)、812年(弘仁3年)に興福寺別当(べっとう )になり、興福寺に伝法院を設け、深密会を始めました。827年(天長4年)に少僧都(しょうそうづ )になりました。修圓は「因明纂要記鈔」・「法相灯明記」などを記しました。なお修圓は835年(承和2年)7月16日に亡くなりました。
興福寺は飛鳥時代の669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(うじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。
●室生寺弥勒堂には本尊である弥勒菩薩立像(重要文化財)・釈迦如来坐像(国宝)・神変大菩薩像などが安置されています。
弥勒菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)の内院に住み、現在仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の次に悟りの最高の位である仏陀(ぶつだ)になることが約束され、釈迦(しゃか)入滅から56億7,000万年(5億7,600万年)後の未来に仏陀となってこの世に下り、衆生を救済すると言われる菩薩です。天界での修行中を弥勒菩薩、未来仏は弥勒如来(弥勒仏)とも称します。弥勒菩薩は飛鳥時代に日本に伝わり、平安時代に弥勒浄土信仰(上生信仰・下生信仰)が盛んになり、日本古来の山岳信仰と仏教が融合した修験道(しゅげんどう)にも取り入れられました。なお「観弥勒菩薩上生兜率天経(かんみろくぼさつじょうしょうとそつてんきょう)」・「弥勒下生経(みろくげしょうきょう)」・「弥勒大成仏経(みろくだいじょうぶつきょう)」は「弥勒三部経」と言われています。
室生寺見どころ

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