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長尾神社本殿・長尾神社見どころ(修学旅行・観光)
長尾神社本殿
●長尾神社本殿は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●長尾神社本殿は安土桃山時代(1573年~1614年)に建立されました。本殿は主祭神に天照大神(あまてらすおおみかみ)・豊受大神(とようけのおおみかみ)、祭神に水光姫命(みひかひめのみこと)・白雲別命(しらくもわけのみこと)を祀っています。水光姫命・白雲別命は社伝によると江戸時代中期の1713年(正徳3年)に祭神として祀られるようになったと言われています。
天照大神は伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の子神(第1子)として産まれました。また伊弉諾が伊弉冉のいる黄泉(よみ)の国から生還し、黄泉の穢れから禊(みそぎ)を行った際に左の目から生まれたとも言われています。天照大神は月読尊(つくよみのみこと)の夜の食国(おすくに)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の根の国(ねのくに)に対し、高天原(たかまがはら)を治めました。天照大神は太陽神の性格と巫女の性格を併せ持ち、皇祖神として伊勢神宮(いせじんぐう)内宮(ないくう)に祀られています。神体は八咫鏡(やたのかがみ)とされています。天照大神は弟・素戔嗚尊が高天原で乱暴を行うと怒って天の岩戸(あまのいわと)に隠れ、世の中は暗闇になり、困った八百万神(やおよろずのかみ)が天安河(あまのやすのかわ)の河原に集まって大宴会を行って天の岩戸を開かせたと言われています。その後皇孫(すめみま)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に神勅と八咫鏡・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)からなる三種の神器(さんしゅのじんぎ)を授け、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めさせ、日本国の初めになりました。なお天照大神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)・大日め貴(おおひるめのむち)・天照大日め尊(あまてらすおおひるめのみこと)などとも言われています。
豊受大神は伊弉冉(いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子神として産まれました。豊受大神は「ウケ」が食物を表し、五穀を司る女神で、伊勢神宮(いせじんぐう)外宮(げくう)に祀られています。豊受大神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨の後に伊勢神宮外宮の度相(わたらい)に鎮座したと言われています。なお豊受大神は豊宇気毘売神などとも言われています。
水光姫命は「古事記」・「日本書紀」に体が光って尾が生じていたと記され、 白蛇(はくじゃ)の化身(けしん)とも言われています。
白雲別命は水光姫命の父神とも言われています。
●長尾神社本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
長尾神社