南明寺本堂・南明寺見どころ(修学旅行・観光)

南明寺本堂

●南明寺本堂は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●南明寺本堂は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。ちなみに南明寺は伝承によると575年(敏達天皇4年)に百済(くだら)の僧が営んだ槇山千坊(まきやませんぼう)のひとつだったとも、771年(宝亀2年)に創建されたとも言われています。ただ境内からは鎌倉時代以前の遺構や出土品などは発見されていないそうです。本堂はいずれも平安時代中期に造仏された一木造(いちぼくづくり)漆箔(しっぱく)の釈迦如来(しゃかにょらい)坐像・薬師如来(やくしにょらい)坐像・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像を安置しています。
お釈迦さま(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
薬師如来は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の教主とされています。薬師如来は瑠璃光を以て衆生の病苦を救う如来とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。
阿弥陀如来は如来の一尊です。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家し、四十八の誓願を立てて如来となった西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。仏国土である極楽浄土を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。
●南明寺本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
南明寺

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