奈良牡丹名所・見ごろ(長谷寺・當麻寺・・・)
奈良牡丹名所
奈良牡丹名所・見ごろを紹介しています。奈良には長谷寺(桜井市)・當麻寺(葛城市)・石光寺(葛城市)・金剛寺(五條市)などの牡丹の名所があります。長谷寺の牡丹は寺伝によると今から1,100年ほど前に唐(中国)第21代皇帝・僖宗の第四の后・馬頭夫人が遠く海を越えて長谷寺の本尊・十一観世音に願いを込めて祈願し、その願いが叶った御礼に十種の宝物に牡丹を添えて献上したのが起源とも言われています。
【牡丹 基礎知識】
牡丹はボタン科ボタン属の落葉小低木です。牡丹は中国西北部が原産地で、古くに日本に伝わり、観賞用として庭に植えられています。牡丹は原種が樹高約3メートルだが、園芸品種は樹高約1~2メートルです。牡丹は葉が大きくて羽状複葉で、花びらが5~8枚で、重弁や二段咲きなどの園芸品種があります。牡丹は例年4月頃から5月頃に赤色・赤紫色・紫色・薄紅色・白色・黄色などの大形の花が咲かせます。なお牡丹には春牡丹だけでなく、寒牡丹・冬牡丹もあります。
【長谷寺牡丹】
長谷寺には仁王門から本堂に通じる登廊周辺に約150種・約7,000株の牡丹が咲きます。牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。牡丹が見ごろを迎える時期にぼたんまつりが催され、ぼたん献花祭・ぼたん茶会などのイベントが行われています。(要確認)
長谷寺は寺伝によると飛鳥時代後期の686年(朱鳥元年)に道明上人が第40代・天武天皇の銅板法華説相図を西の岡(本長谷寺)に安置したのが起源とも言われています。奈良時代前期の727年(神亀4年)に徳道上人が第45代・聖武天皇の勅により、近江高島から流れ出でた霊木を使って本尊・十一面観世音菩薩像を造仏し、衆生の為に東の岡に安置したとも言われています。徳道上人は観音信仰に篤く、718年(養老2年)に閻魔大王のお告を受けて西国三十三所観音霊場巡拝の開祖になり、長谷寺は三十三所の根本霊場と言われるようになりました。平安時代前期の847年(承和14年)に定額寺(じょうがくじ)に列せられ、858年(天安2年)に三綱が置かれました。平安時代中期に華厳宗・東大寺の末寺から法相宗・興福寺の末寺になったとも言われています。
長谷寺牡丹見ごろ
【當麻寺牡丹】
當麻寺には山内に建立されている奥院・中之坊・西南院・護念院などの塔頭にそれぞれ数百株以上、合計約5,000株の牡丹が植えられています。牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。
當麻寺・当麻寺は612年(推古天皇20年)に第31代・用明天皇の第3皇子・麻呂古親王が異母兄・聖徳太子の教えにより、救世観音を本尊とする万法蔵院を河内(大阪)に創建し、白鳳時代(645年~710年)に河内から当麻(當麻)に移ったのが起源とも、7世紀末頃に672年(天武天皇元年)の壬申の乱で功績があった当麻国見が氏寺として創建したのが起源とも言われています。その後763年(天平宝字7年)に當麻曼荼羅が作られ、平安時代には密教文化が栄えたとも言われているが、1180年(治承4年)の南都焼き討ちにより、金堂などの伽藍の一部を焼失しました。中世以降は中将姫伝説の広まりとともに曼荼羅信仰の寺として再興されました。當麻寺には現在真言宗子院と浄土宗子院があります。
當麻寺牡丹見ごろ
【石光寺牡丹】
石光寺には鶴羽・大内姫・暁の雪など約420種・2,700株の牡丹が植えられています。牡丹見ごろは例年4月中旬頃から5月上旬頃です。
石光寺は日本初の仏教通史「元亨釈書・鎌倉時代」などによると約1,300年前、飛鳥時代後期に第38代・天智天皇の勅願により、修験道の開祖である役行者・役小角を開山として創建されたとも言われています。霊光を放つ大石が見つかり、第38代・天智天皇の勅命により、大石に弥勒如来を彫らせ、堂宇を建立したとも言われています。境内には奈良時代(710年~794年)前期とも言われる塔の大心礎が残されています。1991年(平成3年)の弥勒堂改築に伴う発掘調査により、日本最古の白鳳時代(645年(大化元年)~710年(和銅3年) )の石仏(本尊)・瓦・レリーフ形式の仏像である仏せんが出土しました。なお石光寺には當麻寺に伝わる「當麻曼荼羅」を織ったとされる中将姫ゆかりの「染の井」・「糸掛桜」があります。
石光寺牡丹見ごろ
【金剛寺牡丹】
金剛寺には吉野川(よしのがわ)を借景とする面積約2,000平方メートルのぼたん園に約100種・約1,500株の牡丹が植えられています。牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。
金剛寺は平安時代後期の1173年(承安3年)に平清盛の嫡男で、小松内大臣・灯籠大臣とも言われた平重盛が創建したと言われています。その後江戸時代初期に野原城城主・畠山義春の菩提寺として再興されました。江戸時代末期から明治時代には律宗の総本山である奈良・唐招提寺の長老の隠居寺になりました。なお金剛寺は奈良時代末期に流されて来た第49代・光仁天皇の皇后・井上内親王とその子で、皇太子・他戸親王の怨霊を祀る宮寺にもなり、真言宗御室派総本山である京都・仁和寺の末寺・中本寺にもなりました。
金剛寺は高野山真言宗の寺院です。
金剛寺牡丹見ごろ