不退寺業平忌2025年5月28日(日程時間・・・)

不退寺業平忌

不退寺業平忌(日程・・・)を紹介しています。業平忌は例年5月28日に行われています。業平忌では在原業平の命日にその遺徳を偲びます。業平忌では本堂内陣須弥檀の左奥の壁に業平画像を掲げ、花を飾って法要を行います。なお真言八祖が描かれた壁画がある多宝塔が特別開扉され、伊勢物語の写本などの寺宝が公開されます。(要確認)(詳細下記参照)

【不退寺業平忌2025 日程時間(要確認)】
不退寺業平忌2025は2025年(令和7年)5月28日(水曜日)9:00~17:00に行われます。法要は11:00~12:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・不退寺ホームページ

【不退寺業平忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市法蓮町517
最寄り駅・バス停・・・一条高校前(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・西大寺駅航空自衛隊行き

*近鉄大和西大寺駅から奈良交通バス・JR奈良駅白土町行きの場合、不退寺口(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【不退寺業平忌 歴史・簡単概要】
不退寺業平忌(なりひらき)では在原業平の命日にその遺徳を偲びます。
業平忌では本堂内陣須弥檀の左奥の壁に業平画像を掲げ、カキツバタ・黄ショウブなどの花を飾って法要を行います。業平忌では真言八祖が描かれた壁画がある多宝塔(重要文化財)が特別開扉され、伊勢物語の写本などの寺宝が公開されます。(要確認)ちなみに業平画像は江戸時代初期に描かれ、1840年(天保11年)に修補されたと言われています。
在原業平は平安時代初期の貴族で、六歌仙・三十六歌仙に数えられ、「伊勢物語(いせものがたり)」の主人公とも言われています。在原業平は825年(天長2年)に父・阿保親王(第51代・平城天皇の第1皇子)と母・伊都内親王(第50代・桓武天皇の皇女)の間に第5子として生まれ、蔵人・左兵衛権佐・左近衛権少将・蔵人頭などを歴任し、880年(元慶4年)5月28日に蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守として、56歳で亡くなりました。なお在原業平は美男の代表とも言われ、第56代・清和天皇の女御・二条后(藤原高子)との悲恋を表しているとも言われる和歌「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」を残しています。

【不退寺 歴史・簡単概要】
不退寺(ふたいじ)・不退転法輪寺(ふたいてんほうりんじ)・業平寺(なりひらでら)は809年(大同4年)第51代・平城天皇が弟である第52代・嵯峨天皇に譲位し、萱葺きの御殿・萱の御所を造営して隠棲した場所です。その後平城天皇の第1皇子・一品阿保親王(いっぽんあぼしんのう)と一品阿保親王の第5子・在原業平(ありわらのなりひら)が居住しました。不退寺は847年(承和14年)在原業平が54代・仁明天皇の勅願により、父・一品阿保親王の菩提を弔うとともに衆生済度の為、自ら聖観音像(業平観音)を刻んで萱の御所跡に創建し、仁明天皇の勅願所になったと言われています。ちなみに不退寺の名称は「法輪を転じて退かず」に由来しています。その後1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討によって伽藍が焼失し、鎌倉時代に西大寺(さいだいじ)の僧・興正菩薩叡尊(えいそん)が再興しました。ただ中世から近世は西大寺と興福寺(こうふくじ)の子院・一乗院(いちじょういん)の末寺になり、幕末からは西大寺・三光院の住職が兼務したそうです。なお1930年(昭和5年)に本堂、1934年(昭和9年)には多宝塔・南大門が解体・修理されました。
不退寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・不退寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ不退寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

【不退寺業平忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
不退寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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