岡寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

岡寺

岡寺の歴史を時代別年表で紹介。

岡寺の歴史を簡単にまとめています。岡寺は「東大寺要録」の「義淵伝」・「扶桑略記」によると法相宗の祖・義淵僧正が第40代・天武天皇の皇子・草壁皇子が住んでいた岡宮の跡に創建したと言われています。なお岡寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(草壁皇子)】

★草壁皇子(くさかべのおうじ)は第40代・天武天皇(てんむてんのう)と皇后・う野讃良皇女(うののさららのひめみこ、第41代・持統天皇(じとうてんのう))の第2皇子として生れました。671年(天智天皇10年)に第38代・天智天皇(てんぢてんのう)が崩御すると父とともに吉野に下り、その後父が壬申の乱(じんしんのらん)で勝利し、673年(天武天皇2年)に父が天武天皇に即位しました。草壁皇子は679年(天武天皇8年)に吉野の盟約で事実上の後継者になり、681年(天武天皇10年)に立太子されました。686年(朱鳥元年)に父が重態になると母とともに大権を委任され、その後父が崩御したが、若かったこともあり、天皇に即位せずに母が持統天皇に即位しました。その後草壁皇子は天皇に即位することなく、689年(持統天皇3年)に27歳で亡くなりました。758年(天平宝字2年)に第47代・淳仁天皇(じゅんにんてんのう)から岡宮御宇天皇の称号が贈られました。

【岡寺創建(起源・由来)】

★岡寺(龍蓋寺(りゅうがいじ))は「東大寺要録(とうだいじようろく)・1106年(嘉承元年)編纂」の「義淵伝」・「扶桑略記(ふそうりゃくき)・平安時代末期成立」によると法相宗(ほっそしゅう)の祖・義淵僧正(ぎえんそじょう)が天武天皇の皇子・草壁皇子が住んでいた岡宮の跡に創建したと言われています。岡寺は法相宗の大本山・興福寺(こうふくじ)の末寺になりました。岡寺は龍門寺(りゅうもんじ)などと一緒に創建されたと言われています。龍蓋寺の寺号は義淵僧正が住民を苦しめていた悪龍を龍蓋池に封じて石で蓋をしたという悪龍の説話に由来するそうです。ちなみに岡寺の名称は古来から土地の名称である岡にある寺という意味です。なお岡寺は現在、明日香村の東にある岡山の中腹に建立されているが、かつては西側に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)に建立されていたと言われています。治田神社の境内からは奈良時代前期にの古瓦が発掘され、2005年(平成17年)に「岡寺跡」として国の史跡に指定されています。

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【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】

★740年(天平12年)7月に「正倉院文書(しょうそういんぶんしょ)」に写経所啓が記されています。これが史料上の初見と言われています。
★奈良時代に本尊・塑造如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像が造仏されました。塑造如意輪観音は像高4.85メートルの日本最大の塑像(そぞう)で、東大寺(とうだいじ)の銅像・毘盧遮那仏(るしゃなぶつ)・長谷寺の木像・十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)とともに日本三大仏に数えられています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

★1360年(延文5年)に義淵僧正廟塔が建立されました。
★鎌倉時代には悪龍の厄難を取り除いたという悪龍の説話から「日本最初のやくよけ霊場」として、広く信仰されていました。
★鎌倉時代に弘法大師(こうぼうだいし)像が造立されました。また鎌倉時代に弘法大師・空海(くうかい)筆とされる「扁額」が制作されました。
★鎌倉時代に「諸寺建立次第」によると三重塔が建立されていました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

★1472年(文明4年)に三重塔が大風によって転倒しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

★慶長年間(1596年~1615年)に楼門(奈良県指定有形文化財)が建立されました。楼門はかつて内部に鐘を吊っていた鐘楼門で、二階部分に現在、本堂で安置されている平安時代作の兜跋毘沙門天(びしゃもんてん)が祀られていました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★江戸時代に岡寺中興1世で、長谷寺(はせでら)化主(住職)・法住が入寺して復興し、真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)の総本山・長谷寺の末寺になりました。
★1612年(慶長17年)に仁王門(重要文化財)が再建されました。仁王門の再建には1472年(文明4年)の大風によって転倒した三重塔の古材が転用されています。なお仁王門は正面両脇に仁王(におう)像を安置しています。
★1644年(寛永21年)に古書院(重要文化財)が建立されました。古書院には墨書きによる落書きがあります。
★1805年(文化2年)に本堂(奈良県指定有形文化財)が30年以上掛かって再建されました。本堂は本尊・塑造如意輪観音坐像を安置しています。同年に鐘楼堂も建立されました。
★1808年(文化5年)に梵鐘が鋳造されました。梵鐘は太平洋戦争中の供出の為。材質を調べる7つ穴が中央付近にあります。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★1871年(明治4年)に開山堂が多武峰妙楽寺(とうのみねみょうらくじ・談山神社(たんざんじんじゃ))から岡寺に移築されました。開山堂は1797年(寛政9年)に多武峰妙楽寺(談山神社)の護摩堂として建立されました。
★1926年(大正15年)に十三重石塔が建立されました。
★1986年(昭和61年)に三重塔が再建されました。三重塔は1984年(昭和59年)の弘法大師1,150年御遠忌を契機に復興に着手し、1986年(昭和61年)に514年振りに再建されました。

【義淵僧正:岡寺開山】

義淵僧正は643年(皇極天皇2年)に百済王の子孫とされる市往氏または阿刀氏の一族として、大和国高市郡で生れたとも言われています。父母が長年、観音菩薩に祈願しているとある夜に柴垣の上に白帳に包まれて泣く小児を授かり、そのことを聞いた第40代・天武天皇の命によって、草壁皇子とともに岡本宮で育てられたと言われています。その後出家して元興寺に入寺し、法相宗の第三伝である智鳳のもとで唯識・法相を修め、岡寺(龍蓋寺)・龍門寺(竜聞寺)・竜福寺・竜泉寺・竜象寺などの五箇龍寺を創建しました。699年(文武天皇3年)に学業を褒められて稲1万束を賜り、703年(大宝3年)に僧正になりました。第44代・元正天皇、第45代・聖武天皇のもとで内裏に供奉し、727年(神亀4年)に岡連の姓が兄弟に授けられました。玄昉・行基・隆尊・良弁・道慈・道鏡などが義淵の門下と言われています。なお義淵僧正は728年(神亀5年)11月25日に亡くなりました。

【岡寺 備考】
*参考・・・千本ゑんま堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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