岡寺仁王門・岡寺見どころ(修学旅行・観光)

岡寺仁王門

●岡寺仁王門は1986年(昭和61年)1月22日に国の重要文化財に指定されました。
●岡寺仁王門は江戸時代前期の1612年(慶長17年)に再建されました。その後仁王門全体が歪み・各部も破損し、1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)に大規模な解体修理が行われました。その際の調査から仁王門はほとんどの部材に古材が転用されたり、作り替えられたりした部材が使用されていることが分かりました。古材は室町時代中期の1472年(文明4年)7月21日の大風で倒壊し、翌1473年(文明5年)から再建が開始されたが、完成しなかった三重塔のものではないかと言われています。仁王門は四隅上にそれぞれ阿獅子(しし)・吽獅子・龍・虎がある大変珍しい形態になっています。仁王門は正面両脇に仁王像を安置しています。
一般的に仁王門は仏教・寺院を守護し、仁王(二王)とも言われる金剛力士像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯の一部が発見されました。なお日本では飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士は仏教において天界に住む天部で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形の金剛力士である那羅延堅固・吽の金剛力士である密迹金剛士などがあります。金剛力士像は像容が上半身裸形で、筋骨隆々としています。阿形の金剛力士像は怒りの表情を表し、左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵を持っています。吽形の金剛力士像は怒りを内に秘めた表情を表し、右手の指を開いています。
三重塔は「諸寺建立次第」によると鎌倉時代初期に既に建立されていたとも言われています。1472年(文明4年)7月21日の大風で倒壊し、翌1473年(文明5年)から再建が開始されたが、完成しなかった三重塔のものではないかと言われています。1984年(昭和59年)の弘法大師千百五十年御遠忌を契機に再建が開始され、1986年(昭和61年)に514年振りに再建されました。1994年(平成6年)から扉絵・壁画・琴などの作成が開始され、2001年(平成13年)に完成しました。なお三重塔では毎年10月の第3日曜日に開山忌が行われ、扉絵・壁画が年に一度公開されています。
●岡寺仁王門は三間一戸(さんけんいっこ)楼門(ろうもん)で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
楼門は寺社の入口にある二階建て(重層)の門です。楼門は下層に屋根のないものを言い、下層に屋根があるものを二重門と言います。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
岡寺

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