大窪寺跡・国源寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
大窪寺跡・国源寺
大窪寺跡・国源寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。大窪寺は伽藍配置が明確ではないが、塔心礎と伝えられる礎石などから国源寺の本堂周辺に大窪寺の金堂(本堂)が建立されていたとも言われています。ちなみに単弁有子葉蓮華文軒丸瓦・重弧文軒平瓦などが出土しています。
【大窪寺跡・国源寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市大久保町
最寄り駅・バス停・・・畝傍御陵前駅(徒歩約4分)、橿原神宮前駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
*近鉄南大阪線の場合、橿原神宮西口駅(徒歩約17分)
*JR桜井線の場合、畝傍駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック
【大窪寺跡・国源寺 拝観時間・時間(要確認)】
確認中
【大窪寺跡・国源寺 拝観料金・料金(要確認)】
確認中
【大窪寺跡・国源寺 歴史・簡単概要】
大窪寺跡(おおくぼでらあと)・国源寺(こくげんじ)は奈良県橿原市大久保町にあります。大窪寺は起源が明確ではありません。大窪寺は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」朱鳥元年(686年)八月の条に「桧隈寺軽寺大窪寺各封百戸限三十年」と記され、桧隈寺(ひのくまでら)・軽寺(かるでら)とともにそれぞれに30年を期限として百戸が寄進されたとされ、飛鳥時代後期の686年(朱鳥元年)には既に創建されていたと言われています。その後平安時代後期の1070年(延久2年)の「興福寺雑役免帳」や室町時代の「越智郷段銭帳」に記載され、鎌倉時代末期頃まで存続していたと言われています。なお江戸時代後期の1829年(文政12年)の「卯花日記(うのはなにっき)」によると大窪寺跡に礎石が散在していたことが記されています。なお大窪寺は聖徳太子建立四十六院とも言われています。
国源寺は鎌倉時代前期の1197年(建久8年)の「多武峯略記(とうのみねりゃっき)」によると第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の時代(969年(安和2年)~984(永観2年))に初代・神武天皇(じんむてんのう)の神託によって創建されたと言われています。鎌倉時代初期の1187年(文治3年)に光慧が再興し、この頃に御陵寺の性格を有していたと言われています。その後室町時代中期の嘉吉年間(1441年~1444年)頃に興福寺(こうふくじ)晨勝院の末寺になり、八坊を有していました。1868年(明治元年)に神武領域から大窪寺跡に移されました。国源寺は浄土宗(じょうどしゅう)の寺院です。国源寺は本尊として阿弥陀如来(あみだにょらい)を祀っています。
*参考・・・大窪寺跡・国源寺(アクセス・見どころ・・・)
【大窪寺跡・国源寺 見どころ・文化財】
大窪寺跡・国源寺の見どころは鎌倉時代後期に造られた聖徳太子立像(南無仏太子像)です。聖徳太子立像は頭部内に「正安四年(1302年)」銘の墨書があり、日本国内で最古の太子像と言われています。聖徳太子立像は上半身が裸形で、体躯の肉付きが良く、幼児のような柔らかい肌質がよく表現されています。
【大窪寺跡・国源寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-47-2270(橿原市観光交流センター)
【大窪寺跡・国源寺 おすすめ散策ルート】
大窪寺跡・国源寺では南西にある橿原神宮を散策するのがおすすめです。東側には本薬師寺跡があり、そちらを散策するのもいいかもしれません。
【大窪寺跡・国源寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。