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大蔵寺大師堂・大蔵寺見どころ(修学旅行・観光)
大蔵寺大師堂
●大蔵寺大師堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財に指定されました。
●大蔵寺大師堂は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。大師堂は真言宗の宗祖である弘法大師・空海を祀る大師堂として、日本最古とも言われています。大師堂は「厄除開運の御影」とも言われる弘法大師・空海37歳の坐像が安置されています。
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。ただ正確な誕生日は明確ではありません。真言宗(しんごんしゅう)では空海が唐の高僧で、三蔵法師(さんぞうほうし)の一人である不空三蔵(ふくうさんぞう・不空金剛(ふくうこんごう))の生まれ変わりと考えられていることから誕生日は不空三蔵の入滅の日である6月15日とされています。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語(ろんご)・孝経(こうきょう)・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。平安時代初期の804年(延暦23年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)らとともに遣唐使(けんとうし)として唐(中国)に渡り、長安・青竜寺(せいりゅうじ)で真言八祖(しんごんはっそ)の第七祖・恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に文献・法具などを携えて帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。また様々な社会福祉事業も行い、828年(天長5年)に綜芸種智院も創立しました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
●大蔵寺大師堂は桁行正面三間・桁行背面二間・梁間二間で、宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
大蔵寺