大和神社歴史-修学旅行・観光ポイント

大和神社

大和神社歴史の簡単まとめ

大和神社歴史を簡単にマトメてポイント解説します。日本大国魂大神は天照大神とともに宮中で同殿共床で祀られていたが、大和神社は紀元前92年(崇神天皇6年)に日本大国魂大神を淳名城入姫命が市磯邑に移して祀ったのが起源と言われています。なお大和神社歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(第10代・崇神天皇)】

★紀元前475年(孝昭天皇元年)7月に夢告により、天照大神(あまてらすおおみかみ)と大和神社の祭神で、大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)である日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は瑞籬宮(みずがきののみや)の大殿(皇居)に同殿共床で祀られるようになりました。その後世が乱れたり、謀反が起こったりするのは天照大神と日本大国魂大神の勢いだとされ、第10代・崇神天皇(すじんてんのう)は神威を恐れました。

【大和神社創建(起源・由来)】

★大和神社は紀元前92年(崇神天皇6年)に崇神天皇により、天照大神を皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が笠縫邑(かさぬいむら)に移して祀り、日本大国魂大神を皇女・淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)が市磯邑(いちしのむら・大和郷)に移して祀ったのが起源とも言われています。ただ淳名城入姫命は痩せて祭祀を続けられなくなり、紀元前91年(崇神天皇7年)2月に倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が夢の中で神託を受け、同年8月にも倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)・伊勢麻績君らが同じ夢を見たことから天下太平の為、同年11月に初代・神武天皇(じんむてんのう)の臣・椎根津彦の子孫で、大倭直(やまとのあたい)の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)が祭祀を行うようになったと言われています。
「日本書紀」垂仁天皇25年3月条によると日本大国魂大神が自らを祀るよう神託したことから中臣連祖の探湯主の卜により、垂仁天皇が淳名城入姫命に祀らせたと言われています。神地は穴磯邑(あなしむら)に定められ、大市の長岡岬(ながおかみさき)に祀られたと言われています。

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【飛鳥時代(592年~710年)の出来事・事件】

★692年(朱鳥6年)に第41代・持統天皇(じとうてんのう)が藤原京を造営した際、伊勢・住吉・紀伊・兎名足とともに大和神社に奉幣し、伺いを立てたと言われています。

【奈良時代(710年頃~794年頃)の出来事・事件】

★奈良時代に朝廷の命により、遣唐使(けんとうし)が出発前に大和神社で交通安全を祈願しました。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★平安時代初期に大和神社は大和国・尾張国・常睦国・安芸国・出雲国・武蔵国の諸国に伊勢神宮(いせじんぐう)に次ぐ、327戸の神戸を有し、朝廷から崇敬されて隆盛していました。
★824年(天長元年年)に真言宗(しんごんしゅうう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅願により、大和神社の神宮寺として長岳寺(ちょうがくじ)を創建しました。
★850年(嘉祥3年)に神階が従二位に叙され、859年(貞観9年)に従一位に昇叙され、897年(寛平9年年)に最高位である正一位に昇叙されました。大和神社は伊勢神宮に次いで重視されました。
★平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)成立」に「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社 三座」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。
★平安時代後期の第72代・白河天皇(しらからてんのう)の時代(1072年~1086年)に二十二社に列せられました。
★1118年(永久6年)に神殿などが全てを焼失し、大和神社は平安時代後期以降に衰微します。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1187年(文治3年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が大和神社に国家鎮護を祈念し、その報賽に太刀一振が奉納されました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★1407年(応永14年)に元御輿御休所の台石が造られたと言われています。なおちゃんちゃん祭り(御渡祭)は起源が明確ではないが、1407年(応永14年)以前から行われていると言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事・事件】

★1583年(天正11年)に天正の兵火によって神領の古文書を全て焼失した。中世に社領を全て失ったと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1689年(貞享6年)に手水舎が建立されました。
★1852年(嘉永5年)に本殿三社が氏子寄付によって修理されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★1869年(明治2年)に本殿などが官費によって修理されました。
★1871年(明治4年)に官幣大社に列せられました。江戸時代に社殿が寺院様になっていた為、1874年(明治7年)に新たな本殿三殿が建立されました。なお旧本殿は移築されて、祖霊社が創建されました。
★1897年(明治30年)に境内の一部が国鉄桜井線の用地として譲渡されました。
★1941年(昭和16年)に戦艦大和を竣工する際、大和神社の祭神の分霊が艦内神社として祀られました。また堂本印象(どうもといんしょう)が描いた日本画「戦艦大和守護神」も艦長室に掲げられました。
★1945年(昭和20年)に戦艦大和が坊ノ岬沖海戦によって沈没し、戦死した伊藤整一中将以下2,717名が末社・祖霊社に合祀されました。1969年(昭和44年)に「戦艦大和記念塔」が建立され、1972年(昭和47年)に軽巡洋艦・矢矧と駆逐艦8隻の戦没者も合祀され、坊の岬沖海戦の全戦死者3,721柱が祀られました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されました。
★2011年(平成23年)に本殿三殿が改修されました。

【第10代・崇神天皇:大和神社創建】

第10代・崇神天皇は紀元前149年(開化天皇9年)または紀元前148年(開化天皇10年)に第10代・開化天皇と伊香色謎命の間に生れたと言われています。「古事記」・「日本書紀」によると疫病が流行した為に大物主神を三輪に祭祀したり、北陸・東海・西海・丹波の四道に将軍を派遣して大和朝廷の勢力を広めたりしたと言われています。また男子に弓弭調、女子に手末調を課したりして財政制度の整備しました。崇神天皇は原始的な小国家を統一して大和政権を確立し、国内統治を進めたと言われています。なお第10代・崇神天皇は紀元前30年(崇神天皇68年)に崩御しました。

【大和神社 備考】
*参考・・・大和神社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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