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霊山寺十六所神社・霊山寺見どころ(修学旅行・観光)
霊山寺十六所神社
●霊山寺十六所神社は本殿といずれも境内社である住吉神社・龍王神社が1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●霊山寺十六所神社(じゅうろくしょじんじゃ)は南北朝時代(1337年~1392年)に霊山寺の鎮守社として創建されたとも言われています。本殿は1384年(至徳元年・元中元年)、境内社である住吉神社は1386年(至徳3年・元中3年)、境内社である龍王神社は至徳年間(1384年~1387年)頃に建立されたと言われています。その後室町時代前期の1394年(応承元年)に拝殿が建立され、江戸時代中期の1685年(貞享2年)に拝殿が再建されたが、(明治40年)に拝殿が破却されたとも言われています。明治維新後の神仏分離によって独立し、霊山寺本堂背後にある山腹に祀られています。十六所神社は十六所神(じゅうろくしょのかみ)を祀っています。いずれも境内社である住吉神社は中筒男命(なかつつおのみこと)・上筒男命(うわつつおのみこと)・底筒男命(そこつつおのみこと)、龍王神社は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、春日神社は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、神明神社は天照皇大神(あまてらすすめらみこと)を祀っています。
霊山寺は奈良時代前期の734年(天平6年)に僧・行基菩薩が第45代・聖武天皇の勅命によって創建したとも言われています。728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇が病気に苦しんでいた際、夢枕に鼻高仙人が現われ、登美山の薬師如来の霊験を説いたことから行基菩薩を登美山に派遣して祈願させると病気が平癒したと言われています。ちなみに鼻高仙人は小野妹子の子・小野富人で、右大臣だったが、672年(天武天皇元年)の壬申の乱に加担したとされて職を辞し、登美山に閑居して鼻高仙人とも言われました。その後736年(天平8年)にインド出身の僧・菩提僊那が登美山の地形が故郷インドの霊鷲山に似ていることから霊山寺と名付け、第45代・聖武天皇から額「鼻高霊山寺」を賜りました。
●霊山寺十六所神社は本殿といずれも境内社である住吉神社・龍王神社が一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。なお十六所神社は本殿といずれも境内社である住吉神社・龍王神社・春日神社・神明神社がひとつの覆屋で覆われて祀られています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
霊山寺