霊山寺三重塔・霊山寺見どころ(修学旅行・観光)

霊山寺三重塔

●霊山寺三重塔は1899年(明治32年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●霊山寺三重塔は室町時代前期の1356年(文和5年)に建立されました。また鎌倉時代後期の1283年(弘安6年)または1284年(弘安7年)頃に建立されたとも言われています。三重塔は初重内部の仏壇背後にある来迎壁(らいごうかべ)など全面に巨勢金岡(こせかなおか)筆と伝わる五大明王(ごだいみょうおう)図・仏涅槃(ぶつねはん)図などの極彩色の壁画が描かれています。
一般的に三重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣(ろうかく)建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、飛鳥時代の684年(天武13年)~706年(慶雲3年)に建立された法起寺(ほうきじ)の三重塔が日本最古の三重塔です。
一般的に日本の仏塔の形式は三重塔・五重塔です。ただ七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
巨勢金岡は生没年不詳です。巨勢金岡は巨勢有行(こせのともゆき)または巨勢氏宗(こせのうじむね)の子として生まれたも言われています。真筆とされる作品は残されていないが、文献に多くの事跡が記されています。880年(元慶4年)に官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)の先聖先師九哲(せんせいせんしきゅうてつ)の像を描いたのが最初とも言われています。第59代・宇多天皇(うだてんのう)や藤原基経(ふじわらもとつね)などの権力者に画才が認められ、平安時代前期の868年(貞観10年)から872年(貞観14年)に宮廷の神泉苑(しんせんえん)を監修・作庭したとも言われています。また菅原道真(すがわらのみちざね)・紀長谷雄(きのはせお)などの文化人とも親交がありました。なお巨勢金岡は巨勢派の始祖で、唐絵(からえ)を和様化して新様と呼ばれ、後の大和絵の成立に影響を与えたと言われています。巨勢金岡は百済河成(くだらのかわなり)とともに平安時代前期を代表する絵師と言われています。なお巨勢金岡は平安時代前期の宮廷絵師で、従五位下(じゅごいげ)・采女正(うねめのかみ)になりました。
●霊山寺三重塔は三間(さんげん)三重塔婆(さんじゅうとうば)の檜皮葺(ひわだぶき)です。三重塔は鎌倉時代の純和様式で、各層の中の間板扉(いたとびら)・両脇の間連子窓(れんじまど)・組物がよく整った華麗な姿です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
和様は鎌倉時代に中国・宋から伝わった(大仏様・禅宗様)に対して、それ以前に日本の寺院建築に用いられてきた建築様式です。ただ和様のもとになった建築様式も仏教などとともに中国から伝わっています。和様は飛鳥時代・奈良時代に中国から伝えられ、平安時代に日本で発展しました。
霊山寺

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