霊山寺節分星祭法会2025年2月3日(福豆授与)

霊山寺節分星祭法会

霊山寺節分星祭法会(日程・・・)を紹介しています。節分星祭法会は例年節分(立春の前日)に行われています。節分星祭法会では厄除け・招福を祈願します。節分星祭法会では財福の神とされる弁財天を祀る大弁才天堂で節分厄除祈祷を行い、一年間の除厄・除災・除難を祈願します。節分星祭法会では福豆が授与されます。(要確認)(詳細下記参照)

【霊山寺節分星祭法会2025 日程時間(要確認)】

霊山寺節分星祭法会2025は2025年(令和7年)2月3日(月曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・霊山寺ホームページ
●奈良の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
奈良節分・豆まき2025

【霊山寺節分星祭法会 アクセス・マップ】

場所・・・奈良県奈良市中町3879
最寄り駅・バス停・・・霊山寺(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄富雄駅から奈良交通バス
路線・時刻表・運賃チェック

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【霊山寺節分星祭法会 歴史・簡単概要】

霊山寺節分星祭法会(せつぶんほしまつりほうえ)は例年節分(立春の前日)に行われています。節分星祭法会では厄除け・招福を祈願します。
節分星祭法会では財福の神とされる弁財天(べんざいてん・弁才天)を祀る大弁才天堂で節分厄除祈祷を行い、一年間の除厄・除災・除難を祈願します。節分星祭法会では福豆が授与されます。(要確認)ちなみに大弁才天堂は1935年(昭和10年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が奥の院に祀ったと言われている弁才天を勧請して建立されました。

  • 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期の第59代・宇多天皇(867年~931年)の時代に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しているそうです。なお豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。ちなみに豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
  • 星祭り(星祭・星まつり)では立春・元旦などに星を供養し、一年間の幸福を祈り、災いを除きます。ちなみに星祭りは中国の道教で行われていた冬至の祭儀が起源と言われています。なお星祭りは北斗法(ほくとほう)・星供養(ほしくよう)・星供(ほしく)などとも言われています。
  • 弁財天は仏教の守護神である天部の一尊です。弁財天は元々インドのサラスバティー川の河神であったが、その後仏教に取入れられると音楽・財富・知恵・延寿などを司る女神になりました。弁財天は毘沙門天・恵比寿・大黒天・寿老人・福禄寿・布袋とともに七福神に数えられています。

【霊山寺 歴史・簡単概要】

霊山寺は734年(天平6年)に僧・行基が第45代・聖武天皇の勅命によって創建したとも言われています。728年(神亀5年)に聖武天皇が病気に苦しんでいた際、夢枕に鼻高仙人が現われ、登美山の薬師如来の霊験を説いたことから行基を登美山に派遣して祈願させると病気が平癒したと言われています。その後736年(天平8年)にインド出身の僧・菩提僊那が登美山の地形が故郷インドの霊鷲山に似ていることから霊山寺と名付け、聖武天皇から額・鼻高霊山寺を賜りました。なお平安時代に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が来寺し、登美山の龍神に感得して、奥の院に大辯財天女尊として祀り、その後法相宗と真言宗の兼学になりました。
霊山寺は霊山寺真言宗の大本山です。
*参考・・・霊山寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【霊山寺節分星祭法会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
霊山寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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