西大寺本堂・西大寺見どころ(修学旅行・観光)

西大寺本堂

●西大寺本堂は1998年(平成10年)5月1日に国の重要文化財に指定されました。
●西大寺本堂は鎌倉時代に東塔北側に建立されていた光明真言堂(こうみょうしんごんどう)の後身で、江戸時代後期の1799年(寛政11年)に再建されました。例年10月に光明真言会が行われています。また本堂はかつて室町時代に焼失し、その後再建されたが、傷んだことから修理ではなく、新築することになり、1798年(寛政10年)頃に建立が開始され、1808年(文化5年)頃に完成したと言われています。なお本堂は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)立像(重要文化財)や文殊菩薩騎獅(もんじゅぼさつきし)像(重要文化財)と四侍者(じしゃ)像(重要文化財)、そして弥勒菩薩(みろくぼさつ)坐像・弘法大師(こうぼうだいし)坐像・興正菩薩(こうしょうぼさつ)坐像・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像を安置しています。
本尊・釈迦如来立像は西大寺中興開山・叡尊上人(えいそんしょうにん)が善派仏師・善慶(ぜんけい)らを京都・清凉寺(せいりょうじ)に派遣し、平安時代中期に奝然上人(ちょうねんしょうにん)が請来し、名高い釈迦像として知られた三国伝来(インド・中国・日本)の生身(しょうじん)釈迦像を摸刻させ、鎌倉時代前期の1249年(建長元年)に開眼されました。釈迦如来立像は像高約167センチで、木造素地截金(そじきりかね)です。
清凉寺は第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の皇子で、光源氏のモデルとも言われる左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があった場所です。清凉寺は源融の一周忌である平安時代前期の896年(寛平8年)に子息が阿弥陀三尊(あみださんぞん)像を造仏して阿弥陀堂に安置し、棲霞寺(せいかじ)と号したのが起源とも、平安時代中期の945年(天慶8年)に重明親王妃(しげあきらしんのうひ)が新堂を建立し、等身大の釈迦(しゃか)像を安置したのが起源とも言われています。その後987年(永延元年)に奝然上人が愛宕山を中国の五台山に模し、三国伝来の釈迦像を安置する大清凉寺を建立しようとしたが、途中で亡くなり、弟子・盛算(じょうさん)が遺志を受け継ぎ、棲霞寺内に釈迦堂を建立しました。
●西大寺本堂は桁行七間・梁間五間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は正面・背面に向拝(こうはい)三間があります。本堂は内陣と東西南の三方の外陣に仕切られ、内陣北の中央に須弥壇(しゅみだん)、東西に脇壇(わきだん)が設けられています。なお本堂は江戸時代中期の土壁を用いない独特の建築技法になっています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
西大寺(アクセス・見どころ・・・)

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