西大寺常楽会2025/2/15(日程時間・・・)
西大寺常楽会
西大寺常楽会(日程・・・)を紹介しています。常楽会は例年2月15日に行われています。常楽会ではお釈迦さまの遺徳を偲びます。常楽会の「常楽」は煩悩を滅し、完全な悟りの境地に至ったお釈迦様の徳性を表す四徳「常・楽・我・浄」の内、永遠に変わらない「常」と苦悩がなく、安らかな「楽」に由来しています。なお常楽会は涅槃会とも言われます。(詳細下記参照)
【西大寺常楽会2025 日程時間(要確認)】
西大寺常楽会2025は2025年(令和7年)2月15日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・西大寺ホームページ
【西大寺常楽会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
最寄り駅・バス停・・・大和西大寺駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【西大寺常楽会 歴史・簡単概要】
西大寺常楽会(じょうらくえ)では愛染堂でお釈迦さまの遺徳を偲びます。ちなみに常楽会の「常楽」は煩悩を滅し、完全な悟りの境地に至ったお釈迦様の徳性を表す四徳「常・楽・我・浄」の内、永遠に変わらない「常」と苦悩がなく、安らかな「楽」に由来しています。「我」は何ものにも縛られない自由自在、「浄」は一切の汚れがないことを表すそうです。なお常楽会は一般的には涅槃会(ねはんえ)と言われます。
涅槃会は今から約2500年前に80歳で入滅(にゅうめつ)したお釈迦様の遺徳追慕と報恩の為に行われる法要です。法要ではお釈迦様が娑羅双樹の下で、頭を北にして西を向き、右脇を下にした姿で横たわり、十大弟子から獣畜・虫類までが嘆き悲しむ様子を描いた涅槃図が掲げられます。涅槃会はお釈迦様が入滅した日が陰暦の2月15日ということから新暦の2月15日や3月15日を中心に行われています。なお涅槃会はお釈迦様が生まれたことを祝う灌仏会(かんぶつえ)とお釈迦様が悟りを開いたこと喜ぶ成道会(じょうどうえ)とともに釈迦の三大法会と言われています。
お釈迦様(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦様は約2500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦様の遺骸は火葬され、遺骨は各地の舎利塔(仏塔)に分けて祀られたそうです。
愛染堂は1762年(宝暦12年)または1767年(明和4年)に京都御所にあった近衛公政所御殿を移したものです。
【西大寺 歴史・簡単概要】
西大寺(さいだいじ)は764年(天平宝字8年)孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)が藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に第48代・称徳天皇となった孝謙上皇が四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇(孝謙上皇)の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇が平城京の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰を開山として、西大寺が創建されました。ちなみに鎮護国家の為に四天王像を祀るのは金光明最勝王経に基づくものと言われています。ただ794年(延暦13年)の平安京遷都後には災害に見舞われたし、平安時代中期以降に衰退し、1235年(文暦2年)に入住した興正菩薩叡尊上人(こうしょうぼさつえいそんしょうにん)が再興しました。しかし1502年(文亀2年)の火災によって伽藍の多くを焼失し、江戸時代に幕府から寄進によって再建されました。なお1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を開祖しました。
西大寺は真言律宗の総本山です。
*参考・・・西大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【西大寺常楽会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西大寺(アクセス・見どころ・・・)情報