法隆寺西円堂大般若経転読法要2025年10月8日(日程時間・・・)
法隆寺西円堂大般若経転読法要
法隆寺西円堂大般若経転読法要(日程・・・)を紹介しています。西円堂大般若経転読法要は例年10月8日に行われています。大般若経転読法要(だいはんにゃてんどくほうよう)は1994年(平成6年)から行われています。1994年(平成6年)に銅鏡を復元した奉納鏡が柱に取り付け、それ以降年中行事として行われるようになりました。(詳細下記参照)
【法隆寺西円堂大般若経転読法要2025 日程時間(要確認)】
法隆寺西円堂大般若経転読法要2025は2025年(令和7年)10月8日(水曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ
【法隆寺西円堂大般若経転読法要 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線
*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック
【法隆寺西円堂大般若経転読法要 歴史・簡単概要】
法隆寺西円堂大般若経転読法要・西円堂奉納鏡奉納大般若経転読法要 (さいえんどうほうのうきょうほうのうだいはんにゃてんどくほうよう)は1994年(平成6年)から行われています。西円堂に安置されている峯の薬師とも言われる本尊・乾漆薬師如来坐像(国宝)は霊験があらたかだったことから古来から鏡・武具・櫛などが奉納され、堂内に納められていました。1994年(平成6年)に銅鏡を復元した奉納鏡が柱に取り付け、それ以降大般若経転読法要が年中行事として行われるようになりました。
大般若経の転読は古くから行われ、第42代・文武天皇の時代である703年(大宝3年)に行われたことが続日本紀(しょくにほんぎ)に記されているそうです。なお大般若の転読では大般若経600巻を僧侶が転読という速読法を使い、短時間に読み上げます。転読では経巻を傾けながらぱらぱらと落とし、経題など大声で読み上げます。ちなみに転読によって起こる梵風(ぼんぷう)は一切の災いを除くとも言われています。
大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。ただ大般若経のサンスクリット本は発見されていないそうです。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。大般若経は最高の真理である般若(はんにゃ)から見ると全てのものは実体がない空(くう)だと説いているそうです。(諸法皆空の理)なお大般若経には魔をも折伏させる功力があるとも言われています。
西円堂は奈良時代に橘夫人の発願により、行基が建立したと言われているが、現在の西円堂は鎌倉時代に再建されました。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)・法隆寺見どころ(東院伽藍等)
【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【法隆寺西円堂大般若経転読法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報