法隆寺三蔵会2025/2/5(日程時間・・・)

法隆寺三蔵会

法隆寺三蔵会(日程・・・)を紹介しています。三蔵会は例年2月5日に行われています。三蔵会は三経院で古式に則って可能な限り行われています。三蔵会は法相曼陀羅図を本尊にして、法螺貝を合図に四箇法要(しかほうよう)・講問(こうもん)・番論議(ばんろんぎ)などが行われます。なお三蔵会は鎌倉時代頃から行われているとも言われています。(詳細下記参照)

【法隆寺三蔵会2025 日程時間(要確認)】
法隆寺三蔵会2025は2025年(令和7年)2月5日(水曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ

【法隆寺三蔵会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線

*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック

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【法隆寺三蔵会 歴史・簡単概要】
法隆寺三蔵会(さんぞうえ)は鎌倉時代頃から行われているとも言われています。三蔵会は1366年(貞治5年)に書き写された「寺要日記」に記され、それ以前から行われていたとも言われています。三蔵会はその後1868年(明治元年)に途絶え、1983年(昭和58年)に約120年振りに再興されました。なお三蔵会では法相宗の始祖・玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)の命日にその遺徳を偲びます。
三蔵会は三経院(さんぎょういん)で古式に則って可能な限り行われています。三蔵会は法相曼陀羅図を本尊にして、法螺貝を合図に四箇法要(しかほうよう)・講問(こうもん)・番論議(ばんろんぎ)などが行われます。
玄奘三蔵法師は602年に父・陳慧(陳恵)と母・宋欽の娘の四男として生まれ、浄土寺に出家した次兄・長捷(陳素)とともに浄土寺に学び、622年に21歳で具足戒を受け、629年に唐の国禁を犯してインドに陸路で向かい、645年には経典657部や仏像などを持ち帰り、皇帝・太宗から密出国を許され、664年2月5日に亡くなりました。ちなみに663年に漢訳して作り上げた全16部(会)・600巻・字数500万字にも及ぶ経典が大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)です。なお玄奘三蔵法師は鳩摩羅什とともに二大訳聖と言われているそうです。
三経院(国宝)は鎌倉時代に西室の南端部を改造して建立されました。三経院の名称は聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経を注釈したことに由来します。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【法隆寺三蔵会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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