専行院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
専行院
専行院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。専行院ゆかりの織田有楽斎は1547年(天文16年)に織田信秀の11男として生まれ、兄・織田信長とは13歳離れています。織田有楽斎は茶人・千利休に茶道を学び、高弟になって利休十哲に数えられ、1590年(天正18年)に剃髪して有楽と号しました。
【専行院 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市柳本町1474
最寄り駅・バス停・・・柳本駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック
【専行院 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~16:00
【専行院 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【専行院 歴史・簡単概要】
専行院(せんぎょういん)は奈良県天理市柳本町寺垣内にあります。専行院は起源が明確ではありません。専行院は鐘銘によると戦国時代(室町時代後期)の天文年間(1531年~1553年)に円誉(賢公)上人が創建したとも言われています。また専行院は安土桃山時代の1584年(天正12年)年に地元の豪族・楊元範宣の本願によって創建されたとも言われています。江戸時代初期の1600年(慶長5年)にこの地は織田信長(おだのぶなが)の実弟・織田有楽斎(おだうらくさい・織田長益(おだながます))の領地になり、1615年(元和元年)に織田有楽斎の五男・織田尚長(おだひさなが)が入部すると柳本織田藩が成立し、専行院は織田氏の菩提寺になりました。境内には織田有楽斎・織田尚長など歴代藩主の墓が残されています。織田有楽斎は関ヶ原の戦いで戦功を挙げたことから大和国・河内国に3万石の所領を与えられ、1万石を自らの隠居料とし、1万石を四男・織田長政(おだながまさ・大和国芝村藩)、1万石を五男・織田尚長(大和国柳本藩)にそれぞれ分与しました。江戸時代中期の1702年(元禄15年)に火災によって本堂・庫裡が焼失し、1706年(宝永3年)に第7世・行誉上人が再建したと言われています。
*参考・・・専行院(アクセス・見どころ・・・)
【専行院 見どころ・文化財】
専行院の見どころは織田家の位牌堂です。位牌堂には織田信長や織田有楽斎などの歴代藩主、生母・奥方など霊位が奉安されています。また織田有楽斎の念持仏・達磨大師(だるまだいし)坐像が祀られている本堂も見どころです。更に例年7月に行われている藩主祭も見どころです。(要確認)
【専行院 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)
【専行院 おすすめ散策ルート】
専行院では南側に位置する竹之内環濠集落を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【専行院 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。