新薬師寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説(光明皇后

新薬師寺(Shin-Yakushi-ji Temple)

新薬師寺の歴史を時代別年表にまとめ

新薬師寺の歴史を簡単にまとめています。新薬師寺は寺伝によると747年(天平19年)に光明皇后が夫・聖武天皇の病気平癒の為、七仏薬師像を造仏したのが起源と言われています。香薬寺・香山薬師寺と言われ、東大寺の末寺でした。(時代別年表・重要人物下記参照)

新薬師寺見どころ

【第45代・聖武天皇】

●第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)は743年(天平15年)に大仏造立の詔(みことのり)を発し、滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に地震や山火事などの天災が頻発すると平城京(へいじょうきょう)に戻して東大寺(とうだいじ)で大仏の造立が再開されました。しかし聖武天皇は体調を崩したと言われ、病気平癒の為に畿内の寺院で薬師悔過法要(やくしけかほうよう)が命じられ、諸国に薬師仏像の造仏も命じられたと言われています。

【新薬師寺創建(起源・由来)】

●新薬師寺は747年(天平19年)3月に第45代・聖武天皇の后・光明皇后(こうみょうこうごう)が夫・聖武天皇の病気平癒の為、七仏薬師(しちぶつやくし)像を造仏して創建したと言われています。桁行九間(東西約60メートル)の金堂には善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)・宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい)・金色宝光妙行成就王如来(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい)・無憂最勝吉祥王如来(むうさいしょうきちじょうおうにょらい)・法海雲雷音如来(ほうかいうんらいおんにょらい)・法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい)・薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)の七仏薬師像、七仏薬師像の脇侍(わきじ)となる各2体の菩薩(ぼさつ)像、そして十二神将(じゅうにしんしょう)像が安置され、堂内は浄土(じょううど)のような光景だったと言われています。新薬師寺は香薬寺・香山薬師寺とも言われ、東大寺(とうだいじ)の末寺でした。

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【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】

●756年(天平勝宝8年)までに金堂が完成したと言われています、その後金堂以外にも壇院・薬師悔過所・政所院・温室・造仏所・寺園・東西の塔などが建立され、七堂伽藍が建ち並んでいたと言われています。最盛期に四町(約440メートル)四方の寺域を有し、金堂は現在の本堂から西方約150メートルのやや南寄り、現在の奈良教育大学内に建立されていました。
●762年(天平宝字6年)に七仏薬師像の白毫・光背などが制作されたと言われています。東大寺の寺封1,000戸の内、100戸が施入され、塔・仏殿・僧坊などが修造されたと言われています。
●780年(宝亀11年)に西塔が落雷で焼失し、金堂・講堂も類焼したとも言われています。同年12月に太政官符によって伽藍の修理費が出されました。
●792年(延暦12年)に東大寺の寺封1,000戸の内、100戸が施入され、造営・修理が行われて再興されたと言われています。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●863年(貞観5年)に京都・延暦寺(えんりゃくじ)とともに新銭・鉄などが施入されました。
●962年(応和2年)8月に金堂などが暴風によって倒壊しました。その後境内の東側で、標高の高い場所に建立されていたお堂が本堂になりました。ちなみに現在、本堂に安置されている本尊・薬師如来坐像は奈良時代後期から平安時代初期に造仏され、十二神将立像は奈良時代に造仏されました。ただ元々、新薬師寺に安置されていたものではなく、高円山(たかまどやま)山麓に建立されていた岩淵寺(いわぶちでら)から移したものとも言われています。なおこの頃から衰微し、金堂などが建立されていた場所には次第に民家などが建てられたと言われています。
●1180年(治承4年)に平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちにより、東大寺・興福寺(こうふくじ)などの寺社が焼失したが、焼き討ちを免れました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●鎌倉時代に華厳宗(けごんしゅう)中興の祖である明恵(みょうえ)上人・解脱(げだつ)上人が一時入寺しました。この頃に地蔵堂・鐘楼・南門・東門が建立されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1602年(慶長7年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が朱印地100石を寄進しました。
●1698年(元禄11年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の生母・桂昌院(けいしょういん)の寄進によって本尊・薬師如来と十二神将が修理されました。
●江戸時代に祈祷所として参拝者で賑わったとも言われています。

【新薬師寺の開基である光明皇后】

光明皇后は701年(大宝元年)に藤原不比等と県犬養橘三千代の三女・安宿媛として生まれました。その後皇太子であった第45代・聖武天皇と結婚し、非皇族初の皇后になりました。718年(養老2年)に第46代・孝謙天皇、その後第48代・称徳天皇となる阿倍内親王を産み、724年(神亀元年)に夫が聖武天皇に即位すると後宮の位階・夫人号を賜りました。727年(神亀4年)に皇太子・基王(基皇子)を産んだが、728年(神亀5年)10月20日に亡くなりました。長屋王の変後の729年(天平元年)に皇后の詔が発せられました。749年(天平勝宝元年)に夫・聖武天皇が娘・阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位しました。756年(天平勝宝8年)5月2日に夫・聖武天皇が崩御し、760年(天平宝字4年)7月27日に光明皇后も亡くなりました。光明皇后は夫・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、夫・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院や貧窮者・孤児の為の悲田院などを設置しました。

【新薬師寺の歴史 備考】
*参考・・・新薬師寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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