新薬師寺鐘楼・新薬師寺見どころ(修学旅行・観光)

新薬師寺鐘楼

●新薬師寺鐘楼は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●新薬師寺鐘楼は鎌倉時代後期の1279年(弘安2年)に再建されたと言われています。新薬師寺は奈良時代の747年(天平19年)に創建され、七堂伽藍(金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂・仏塔)と東西2基の塔が建立され、1千人の僧が住したと言われています。新薬師寺鐘楼には天平時代に鋳造され、元興寺(がんごうじ)の鐘楼が焼失したことから元興寺から移されたと言われる梵鐘を吊っています。
一般的に鐘楼は梵鐘を吊るす堂塔です。鐘楼は金堂(こんどう)・塔・講堂・経蔵・僧坊・食堂(じきどう)とともに七堂伽藍(しちどうがらん)と言われています。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼(ころう)に対して伽藍の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造(たかどのづくり)の法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾(すそ)広がりの袴腰造(はかまごしつくり)や東大寺(とうだいじ)の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放(ふきはなし)などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。なお鐘楼は鐘撞堂・釣鐘堂などとも言われています。
●新薬師寺鐘楼は桁行三間・梁間二間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。新薬師寺鐘楼は漆喰塗り(しっくいぬり)の袴腰(はかまごし)付です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
袴腰は鐘楼・鼓楼の下層の末広がりになった部分です。
漆喰は消石灰(水酸化カルシウム)に繊維質の藁(わら)や麻糸(すさ)などと糊(のり)を加えて水で混ぜた建築材料です。漆喰は本漆喰・土佐漆喰・既調合漆喰・琉球漆喰・屋根漆喰・灰土漆喰・天川漆喰などがあります。建物の外壁・内壁・天井などの仕上げに使われたり、石・煉瓦(れんが)などの接合に使われたりします。漆喰には防水性・耐火性があります。なお漆喰は縄文時代後期、約4,000年前の遺跡でも使われていたことが確認されたそうです。
新薬師寺見どころ

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