- Home
- 正蓮寺大日堂・正蓮寺見どころ(修学旅行・観光)
正蓮寺大日堂・正蓮寺見どころ(修学旅行・観光)
正蓮寺大日堂
●正蓮寺大日堂は1943年(昭和18年)6月9日に国の重要文化財に指定されました。
●正蓮寺大日堂は上棟札によると室町時代中期の1478年(文明10年)に建立されました。ただ1456年(康正2年)から1485年(文明17年)に記された墨書なども発見され、完成までに約30年の歳月が要していたと考えられています。ちなみに大日堂は元々真言宗(しんごんしゅう)高野山(こうやさん)派の佛起山(ぶっきざん)普賢寺(ふげんじ)の本堂として建立されたが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で普賢寺が廃寺になり、正蓮寺の大日堂として引き継がれています。大日堂はかつて普賢寺の鎮守社であった入鹿神社(いるかじんじゃ)に境内に建立されています。なお大日堂は鎌倉時代に造仏された本尊・大日如来(だいにちにょらい)坐像(重要文化財)を安置しています。
大日如来は真言密教(しんごんみっきょう)の教主で、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされています。大日如来は太陽神が起源とされ、宇宙の根元で、諸仏(しょぶつ)・諸菩薩(しょぼさつ)の本地とされています。なお大日如来は平安時代前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が密教とともに中国・唐から日本に伝えました。大日如来は日本の密教において最高仏として位置付けられ、大日信仰が成立しました。大日如来は曼荼羅(まんだら)で主座を占め、智を示す金剛界(こんごうかい)曼荼羅で智拳印(ちけんいん)、理を示す胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅で法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいます。
入鹿神社は起源が明確ではありません。入鹿神社は素盞鳴尊と大臣・蘇我入鹿を祭神として祀り、素盞鳴命と蘇我入鹿の木造坐像をご神体としています。ちなみにこの地は蘇我氏ゆかりの地で、「蘇我」・「曽我」という地名が残され、小綱町の隣の曽我町には蘇我馬子が創建した宗我坐宗我都比古神社が建立され、蘇我氏の始祖(曾我都比古神・曾我都比売神)が祀られています。
●正蓮寺大日堂は桁行三間・梁間三間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
正蓮寺