崇道天皇社本殿・崇道天皇社見どころ(修学旅行・観光)

崇道天皇社本殿

●崇道天皇社本殿は1949年(昭和48年)5月30日に国の重要文化財に指定されました。
●崇道天皇社本殿は安土桃山時代(1573年~1614年)に春日大社の摂社・若宮神社(わかみやじんじゃ)の本殿として建立され、江戸時代前期の1623年(元和9年)に若宮神社から移して建立されました。本殿は現存する春日移しでは最古の社殿と言われているそうです。崇道天皇社は平安時代初期の806年(大同元年)に創建されたと言われています。「霊安寺御霊大明神略縁起私記・1458年(長禄2年)」によると「又奈良ノ南里ノ紀寺ノ天王ト申スモ、崇道天皇ニテマシマスナリ」と記され、怨霊を鎮める御霊神社(ごりょうじんじゃ)のひとつとして祀られたとも言われています。本殿では崇道天皇(すどうてんのう)とも言われる早良親王(さわらしんのう)を祀っています。
早良親王は奈良時代中期の750年(天平勝宝2年)頃に第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)と高野新笠(たかののにいがさ)の第2皇子として生まれました。761年(天平宝字5年)に出家して東大寺羂索院(けんじゃくいん)などに住して親王禅師(しんのうぜんじ)と言われ、東大寺開山・良弁(ろうべん)の後継者と言われていました。781年(天応元年)に同母兄・山部親王(やまのべしんのう)が第50代・桓武天皇(かんむてんのう)に即位すると父・光仁天皇の勧めで還俗して立太子(皇太弟)されました。785年(延暦4年)9月に長岡京で桓武天皇の寵臣で、造長岡宮使(ぞうながおかぐうし)・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺されると犯人に連座し、皇太子を廃されて長岡京市・乙訓寺(おとくにでら)に幽閉されました。早良親王は無実を訴える為に十余日絶食し、淡路国に配流される途中の河内国高瀬橋付近(大阪府守口市)で憤死し、遺骸は淡路国まで運ばれて葬られました。その後皇族や貴族が病気なったり、災害が起こったりするなどの悪疫(あくえき)が続き、早良親王の祟りと恐れられ、800年(延暦19年)に兄・桓武天皇が早良親王の怨霊を慰める為に崇道天皇(すどうてんのう)の追号を贈りました。また805年(延暦24年)に早良親王の遺骸を淡路国から大和国に移葬しました。
若宮神社は平安時代後期の1135年(保延元年)に祀られ、榎社(えのきしゃ)と言われていました。大雨・洪水による飢饉が続き、疫病が蔓延したことから万民救済の為に春日大社と同じ規模の神殿が建立されました。翌1136年(保延2年)に関白・藤原忠通が五穀豊穣・万民安楽を祈願する為、春日若宮おん祭を始め、現在まで途切れることなく行われています。なお若宮神社は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。
●崇道天皇社本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
崇道天皇社

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