東大寺俊乗忌2025年7月5日(日程時間・・・)
東大寺俊乗忌(日程時間・アクセス・概要・・・)
東大寺俊乗忌(日程・・・)を紹介しています。俊乗忌は例年7月5日に行われています。俊乗忌では東大寺大勧進職(だいかんじんしょく)・俊乗坊重源上人(しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)の遺徳を偲びます。なお俊乗忌では俊乗堂の本尊で、通常非公開の秘仏・俊乗坊重源上人坐像(国宝)が一般公開されます。(要確認)(詳細下記参照)
【東大寺俊乗忌2025 日程時間(要確認)】
東大寺俊乗忌2025は2025年(令和7年)7月5日(土曜日)8:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・奈良世界遺産・東大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【東大寺俊乗忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市雑司町406-1
最寄り駅・バス停・・・東大寺大仏殿・春日大社前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
*近鉄奈良駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック
【東大寺俊乗忌 歴史・簡単概要】
東大寺俊乗忌(しゅんじょうき)では平安時代末期の東大寺大勧進職(だいかんじんしょく)・俊乗坊重源上人(しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)の遺徳を偲びます。
俊乗忌では俊乗堂で法要を行います。その後俊乗堂の本尊で、通常非公開の秘仏・俊乗坊重源上人坐像(国宝)が一般公開されます。(要確認)ちなみに俊乗堂は鎌倉時代初期に俊乗房重源上人が建立したが、1567年(永録10年)の兵火によって焼失し、元禄年間(1688年~1703年)に公慶上人が俊乗坊重源上人の菩提を弔う為に再建しました。
俊乗房重源は1121年(保安2年)に紀季重(きのすえしげ)の子として生まれ、1133年(長承2年)に真言宗の京都・醍醐寺(だいごじ)で出家して密教を学び、その後浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)に学び、法然上人の命によって宋(中国)に渡ったと言われています。1181年(養和元年)に造東大寺大勧進になり、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討で焼失した大仏殿(国宝)の再建や奈良の大仏(国宝)の再鋳造などを鎌倉幕府初代将軍・源頼朝らの援助によって行い、1206年(建永元年)旧暦の6月5日に86歳で亡くなりました。なお俊乗房重源は大仏殿の再建などの功績から大和尚の称号を贈られました。
●東大寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
東大寺歴史
●東大寺の見どころ(大仏・大仏殿など)を紹介しています。
東大寺見どころ
【東大寺 歴史・簡単概要】
東大寺(とうだいじ)・金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(きんしょうせんじ・金鍾寺(きんしょうじ)が起源と言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生したが、728年(神亀5年)9月13日に亡くなり、同年11月に金鍾山寺が建立されました。その後741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。その後743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発し、当初滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に都が平城京に戻ると東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)を導師として、大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。752年(天平勝宝4年)からお水取り(修二会・お松明)も始まりました。789年(延暦8年)の造東大寺司の廃止までに講堂・東西両塔・三面僧房などの諸堂が建立されました。なお東大寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
東大寺は華厳宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・東大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【東大寺俊乗忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺(アクセス・見どころ・・・)情報
東大寺お水取り2025