当麻寺奥院・当麻寺見どころ

当麻寺奥院

●当麻寺奥院は本堂・方丈・鐘楼門が1989年(平成年)9月2日に国の重要文化財に指定されました。
●当麻寺奥院にはいずれも国の重要文化財に指定されている本堂・方丈・鐘楼門や阿弥陀堂・庫裏・茶室「慈教庵」・宝物館・二河白道の庭・浄土庭園・ぼたん園などがあります。
●当麻寺奥院本堂(御影堂)は江戸時代初期の1604年(慶長9年)に建立されました。奥院本堂(御影堂)には鎌倉時代に造仏され、京都・知恩院(ちおいん)からもたらされた本尊・円光大師(法然上人)坐像(重要文化財)や宝冠阿弥陀如来像が安置されています。なお奥院本堂(御影堂)は桁行七間・梁間五間で、寄棟造の本瓦葺です。
法然上人は平安時代後期の1133年(長承2年)4月7日に美作国(岡山県)久米南条稲岡荘の押領使(おうりょうし)・漆間時国(うるまときくに)と秦氏君(はたうじのきみ)清刀自の子として生まれたと言われています。1141年(保延7年)に9歳で父・漆間時国が殺害され、母方の叔父で、僧侶・観覚(かんがく)のもとで剃髪し、1145年(天養2年)に15歳で比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に登って源光(げんこう)に師事して天台(てんだい)を学びました。しかし1150年(久安6年)に教学などに疑問を感じ、西塔黒谷・叡空(えいくう)のもとで修業し、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と称しました。その後20年間に渡って修学し、中国浄土教の僧・善導(ぜんどう)の「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」や天台宗の僧である恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の「往生要集(おうじょうようしゅう)」により、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号を口に出して称える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)に専修する悟りに達し、浄土宗を開きました。京都吉水(よしみず)に草庵を結んで老若貴賤(ろうにやくきせん)に布教したが、女官の出家を契機に南都北嶺(興福寺(こうふくじ)・比叡山延暦寺)から迫害を受け、1207年(承元元年)に讃岐に配流され、その後赦免されて京都に戻りました。なお法然上人は1212年(建暦2年)1月25日に東山大谷(京都市東山区)で亡くなりました。
●当麻寺奥院方丈(大方丈)は江戸時代前期の1612年(慶長17年)に建立されました。奥院方丈(大方丈)には12畳敷の間が三間(上・中・下)と6畳敷の間が三間(上・中・下)あり、六間全ての襖が金碧画で飾られていたことから「金の間」とも言われていました。12畳敷の上之間の床の間には狩野派筆の玄宗皇帝・楊貴妃の物語が金碧画で描かれ、6畳敷の上之間には水墨画が描かれています。また6畳敷の中之間には天井に牡丹の絵が描かれています。ちなみに2018年(平成30年)には上村淳之(うえむらあつし)筆の「花鳥浄土(30枚・60面)」が奉納されました。なお奥院方丈(大方丈)は桁行約12メートル・梁間約9メートルで、寄棟造の本瓦葺・桟瓦葺です。
上村淳之は1933年(昭和8年)4月12日に近代美人画の大家である日本画家・上村松園(うえむらしょうえん)の孫、日本画家・上村松篁(うえむらしょうこう)の子として京都市で生まれました。1956年(昭和31年)の京都市立美術大学(京都市立芸術大学)在学中に新制作協会展で初入選し、1959年(昭和34年)に京都市立美術大学・専攻科を修了しました。その後1984年(昭和59年)に京都市立芸術大学の教授、1997年(平成9年)に美術学部長、1999年(平成11年)に副学長、1999年(平成11年)に名誉教授になりました。1980年(昭和55年)に創画会賞、1992年(平成4年)に京都府文化功労賞、1995年(平成7年)に日本芸術院賞に受賞し、2013年(平成25年)に文化功労者に選出されました。上村淳之は自宅の庭に1,800羽を超える鳥を飼い、鳥をこよなく愛することから「鳥の日本画家」とも言われています。
●当麻寺奥院鐘楼門は江戸時代前期の1647年(正保4年)に建立されました。奥院鐘楼門は一間一戸の楼門で、入母屋造の本瓦葺です。
当麻寺見どころ

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