高山八幡宮本殿・高山八幡宮見どころ(修学旅行・観光)

高山八幡宮本殿

●高山八幡宮本殿は1922年(大正11年)4月13日に国の重要文化財に指定されました。
●高山八幡宮本殿は室町時代中期の1474年(文明3年)に焼き討ちで法楽寺(ほうらくじ)薬師堂とともに焼失し、戦国時代(室町時代後期)の1572年(元亀3年)に再建されました。なお本殿は足仲津彦命(あしなかつひこのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)を祀っています。
足仲津彦命は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)のことです。第14代・仲哀天皇は第12代・景行天皇の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子です。178年(成務天皇48年)に立太子し、190年(成務天皇60年)に13代・成務天皇が崩御し、192年(仲哀天皇元年)に第14代・仲哀天皇に即位し、193年(仲哀天皇2年)に気長足姫尊(神功皇后)を皇后としました。「日本書紀」によると筑紫・橿日宮で熊襲を討つことを協議した際に神功皇后に神がかり、熊襲よりも新羅を先に討つことを託宣したが、仲哀天皇は託宣を信ぜず、熊襲に敗れて更に病気になり、200年(仲哀天皇9年)に52歳で崩御したとも言われています。
誉田別命は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)のことです。第15代・応神天皇は第14代・仲哀天皇と后・神功皇后の第4皇子です。200年(仲哀天皇9年)に三韓征伐の帰途に神功皇后が生んだとされています。胎中天皇とされ、かご坂皇子・忍熊皇子という仲哀天皇の異母兄達が叛乱を起こしたが、神功皇后が鎮圧して排除しました。203年(神功皇后摂政3年)に立太子し、270年(応神天皇元年)に天皇に即位しました。在位中に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展し、巨大な陵墓が天皇の権力の強大さを示していると言われています。在位中に朝鮮半島から阿直岐・弓月君・王仁・阿知使主らが渡来し、養蚕・織物・灌漑・治水技術などをもたらしました。第15代・応神天皇は310年(応神天皇41年)に111歳で崩御したとも言われています。
息長帯比売命は神功皇后(じんぐうこうごう)のことです。神功皇后は第14代・仲哀天皇の皇后で、第15代・応神天皇の母です。神功皇后は第14代・仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政として、三韓征伐などの政事を行い、100歳で亡くなったとも言われています。ちなみに神功皇后はお腹に月延石(鎮懐石)を当てて晒を巻き、冷やすことによって出産を遅らせ、第15代・応神天皇を生んだとされています。第15代・応神天皇は胎中天皇とも言われているそうです。
●高山八幡宮本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
高山八幡宮

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