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玉置神社社務所・台所・玉置神社見どころ(修学旅行・観光)
玉置神社社務所・台所
●玉置神社社務所・台所は1988年(昭和63年)1月13日に国の重要文化財に指定されました。
●玉置神社社務所・台所は棟札によると江戸時代後期の1804年(文化元年)に神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代に玉置神社の別当寺(べっとうじ)・高牟婁院(たかむろいん)の主殿・庫裏として建立されました。明治維新後の神仏分離後に社務所・台所・参籠所(さんろうじょ)として使用されるようになりました。社務所は南北2列の計10室が設けられ、北側は西から孔雀の間・老松の間・鶴の間・旭鶴の間・牡丹唐獅子の間、南側は西から御殿の間・宮司居室・禰宜居室・居室2室があります。また孔雀の間北側に神殿があり、神殿・孔雀の間・御殿の間は他の部屋よりも一段床が高く、天井は格天井(ごうてんじょう)になっており、格式が高くなっています。社務所は杉の板戸・板壁で仕切られ、狩野派の絵師・橘保春らの筆による豪華な花鳥図が描かれ、部屋の名称の由来になっています。
玉置神社は明治維新後の神仏分離前は玉置三所権現(たまきさんしょごんげん)と言われ、玉置神社の別当寺・高牟婁院を中心に十数坊の塔頭(たっちゅう)が建ち並ぶ聖護院(しょうごいん)末玉置修験の拠点でした。神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、修験僧は還俗させられ、高牟婁院は廃寺になって玉置神社になりました。
●玉置神社社社務所は桁行約22メートル・梁行約15メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。社務所は北面に玄関を設け、南面が懸造(かけづくり)で地階に参籠所を備え、西面に軒唐破風(のきからはふ)付きです。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
懸造は崖などの高低差が大きい場所に仏堂などを建立する建築様式です。懸造は舞台造・崖造などとも言われています。懸造は平安時代中期には既に行われていたとも言われています。観音霊場では岩を観音菩薩の降臨する霊場・補陀落山に見立てていたとも言われています。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。
●玉置神社社台所は桁行約9メートル・梁行約8.9メートルで、入母屋造の銅板葺です。台所は西側が社務所に接続されています。
玉置神社