手向山八幡宮住吉神社・手向山八幡宮見どころ(修学旅行)

手向山八幡宮住吉神社

●手向山八幡宮住吉神社は本殿が1921年(大正10年)4月30日に国の重要文化財に指定されました。
●手向山八幡宮住吉神社は起源が明確ではありません。本殿は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。住吉神社は住吉三神(すみよしさんじん)と言われる表筒男命(うわづつのみこと)・中筒男命(なかづつのみこと)・底筒男命(そこづつのみこと)を祀っています。
住吉三神は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」に底筒男命・中筒男命・表筒男命と記されています。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)による国産み・神産みの際、伊邪那美命が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んで大火傷を負って黄泉国(よみのくに)に旅立ちました。伊邪那岐命が黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうしたが、引き戻すことができず、日向(ひゅうが)の橘の小戸の阿波岐原(たちばなのおどのあわぎのはら)で禊(みそぎ)を行った際、瀬の深場で底筒之男神、瀬の流れの中間で中筒之男神、瀬の水表で上筒之男神が生まれました。「日本書紀」によると第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)が熊襲(くまそ)征伐を行った際、神功皇后に住吉三神から神託があり、仲哀天皇は疑問を口にしたことから祟り殺され、神功皇后は再び受けた神託から新羅(しらぎ)に出航したが、戦わずして新羅・高麗(こうらい)・百済(くだら)の三韓征伐(さんかんせいばつ)を成し遂げたとも言われています。三韓征伐に由来する三大住吉が住吉大社(大阪市住吉区)・ 住吉神社(山口県下関市)・ 住吉神社(福岡市博多区)に祀られています。なお住吉三神は神仏習合で表筒男命が大日如来(だいにちにょらい)、中筒男命が阿弥陀如来(あみだにょらい)、底筒男命が薬師如来(やくしにょらい)を本地としました。
●手向山八幡宮住吉神社は本殿が一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
手向山八幡宮(アクセス・見どころ・・・)

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