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談山神社閼伽井屋・談山神社見どころ(修学旅行・観光)
談山神社閼伽井屋
●談山神社閼伽井屋は1977年(昭和52年)1月28日に国の重要文化財に指定されました。
●談山神社閼伽井屋は江戸時代前期の元和年間(1615年~1624年)頃に建立されたと言われています。閼伽井屋の中には摩尼法井と言われる井戸があり、かつて定慧和尚が「法華経」を講じた際に龍王が出現したと伝えられています。
閼伽井は寺院で仏前に供える閼伽の水を汲む井戸のことです。インドでは古くから来客に足を注ぐ水と食事の後に口を濯ぐ水が用意され、それが仏教に取り入れられたと言われています。閼伽の水は塗香(ずこう)・華(華鬘(けまん))・焼香(しょうこう)・飲食(いんしょく)・灯明(とうみょう)とともに六種供養に数えられました。なお閼伽井の上屋は閼伽井屋・閼伽井堂などと言われています。
定恵は643年(皇極天皇2年)に父・藤原鎌足と母・鏡王女(かがみのおおきみ)の長男・中臣真人(なかとみのまひと)として生まれました。653年(白雉4年)5月に遣唐大使・吉士長丹(きしのながに)に従って遣唐使(けんとうし)として唐(中国)に渡り、長安(ちょうあん)懐徳坊にある慧日道場に住し、三蔵法師(さんぞうほうし)とも言われる玄奘(げんじょう)の弟子・神泰法師に師事して学びました。唐(中国)内を遊学して内経外典(ないきょうげてん)に通じたと言われています。665年(天智天皇4年)9月に劉徳高(りゅうとくこう)とともに朝鮮半島の百済(くだら)を経て帰国したが、同年12月23日に23歳で大和国大原(奈良県高市郡明日香村小原)で亡くなったと言われています。百済人によって毒殺されたとも言われています。定恵には第38代・天智天皇(てんぢてんのう)のご落胤とも言われる伝承や談山神社の前身・妙楽寺(みょうらくじ)を創建し、父・藤原鎌足の遺骸を摂津国安威山(大阪府)から改葬して、妙楽寺に十三重塔を建立したという伝承が残されています。
「法華経(妙法蓮華経)」は紀元前後に起こり、1世紀末にほぼ整ったとも言われる大乗仏教初期に成立した大乗仏教の重要な経典です。「法華経」は数種のサンスクリット(梵語)原典が現存し、漢訳では竺法護訳10巻(正法華経)、鳩摩羅什訳8巻(妙法蓮華経)、闍那崛多・達摩笈多訳8巻(添品妙法蓮華経)の3種が現存し、鳩摩羅什訳8巻がよく知られています。「法華経」は詩や譬喩(比喩)・象徴を主とした文学的な表現で、仏と成ることのできる唯一の教えである一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説きます。また「法華経」は出家と在家や男性と女性といった区別なく、誰もが平等に成仏できると説きます。「法華経」は聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来したと言われ、聖徳太子は「法華経」の注釈書「法華義疏」を著しました。「法華経」は奈良時代に成仏不可能とされた女人救済の唯一の経典とされ、法華滅罪之寺(国分尼寺)が建立され、「金光明最勝王経」・「仁王経」とともに護国三部経に数えられました。ました。なお日本では「法華経」を根幹として、伝教大師・最澄を宗祖とする天台宗、日蓮聖人を宗祖とする日蓮宗(にちれんしゅう)が開祖されました。
●談山神社閼伽井屋は桁行一間・梁間一間で、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
談山神社