談山神社本殿・談山神社見どころ(修学旅行・観光)

談山神社本殿

●談山神社本殿は1977年(昭和52年)1月28日に国の重要文化財に指定されました。
●談山神社本殿は江戸時代後期の1850年(嘉永3年)に建立されました。本殿はかつて飛鳥時代後期の701年(大宝元年)に創建され、聖霊院・多武峯社とも号しました。また本殿は日光東照宮(にっこうつしょうぐう)のお手本にされたとも言われています。本殿は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)を祀っています。
藤原鎌足(中臣鎌足)は「藤氏家伝(とうしかでん)」によると飛鳥時代前期の614年(推古天皇22年)に父・中臣御食子(なかとみのみけこ)と母・大伴智仙娘(おおとものちせんのいらつめ)の子として大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)で生まれたとも言われています。「大鏡(おおかがみ)」によると常陸国(茨城県)鹿島に生まれたとも言われています。早くから中国の史書に関心を持ち、遣隋使(けんずいし)として留学し、隋・唐(とう)の32年間に渡って留学した学問僧・南淵請安(みなぶちのしょうあん)が開いた塾で儒教(じゅがく)を学び、蘇我入鹿(そがのいるか)とともに秀才とされました。日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」によると644年(皇極天皇3年)に中臣氏の家業である祭祀を司る祭官に就くことを固辞し、摂津国三島の別業(なりどころ)に退き、密かに蘇我稲目(そがのいなめ)・蘇我馬子(そがのうまこ)・蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)の4代に渡って政権を掌握する蘇我氏打倒の意志を固めたと言われています。第38代・天智天皇(てんぢてんのう)となる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に接近し、645年(大化元年)の乙巳の変(いっしのへん)で中大兄皇子・蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)らと板蓋宮(いたぶきのみや)で蘇我入鹿を暗殺し、蘇我蝦夷を自殺に追いやりました。647年(大化3年)の新冠位制度で大錦冠(だいきんかん)を授与され、649年(大化5年)に左大臣・阿部倉梯麻呂(あべのうちのまろ)が亡くなり、蘇我倉山田石川麻呂が失脚すると勢力を伸ばし、654年(白雉5年)頃に大紫冠(だいしかん)に昇格したと言われています。なお藤原鎌足は「藤原」の姓を賜った翌日の669年(天智天皇8年)11月14日に亡くなりました。
●談山神社本殿は三間社(さんげんしゃ)隅木入(すみぎいり)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
談山神社

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