談山神社神廟拝所・談山神社見どころ(修学旅行・観光)

談山神社神廟拝所

●談山神社神廟拝所は1977年(昭和52年)1月28日に国の重要文化財に指定されました。
●談山神社神廟拝所は江戸時代中期の1668年(寛文8年)に再建されました。神廟拝所はかつて飛鳥時代後期の679年(白鳳8年)に定慧和尚が父・藤原鎌足の供養の為、妙楽寺の講堂として創建したと言われています。神廟拝所は内部壁面に羅漢(らかん)・天女(てんにょ)の像が描かれています。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以前は本尊・阿弥陀三尊(あみださんぞん)像を安置していたが、阿弥陀三尊像は安倍文殊院に移され、現在釈迦三尊(しゃかさんぞん)像(奈良市指定有形文化財)が安置されています。
お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)は約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
定恵は643年(皇極天皇2年)に父・藤原鎌足と母・鏡王女の長男・中臣真人として生まれました。653年(白雉4年)5月に遣唐大使・吉士長丹に従って遣唐使として唐(中国)に渡り、長安懐徳坊にある慧日道場に住し、三蔵法師とも言われる玄奘の弟子・神泰法師に師事して学びました。665年(天智天皇4年)9月に劉徳高とともに朝鮮半島の百済を経て帰国したが、同年12月23日に23歳で大和国大原で亡くなったと言われています。定恵には第38代・天智天皇のご落胤とも言われる伝承や談山神社の前身・妙楽寺を創建し、父・藤原鎌足の遺骸を摂津国安威山(大阪府)から改葬して、妙楽寺に十三重塔を建立したという伝承が残されています。
一般的に講堂は僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。講堂は通常、中国・唐時代(618年~907年)の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。講堂は奈良時代(710年~794年)に建立が始まり、鎌倉時代(1185年~1333年)以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂は奈良時代に建立された唐招提寺の講堂や平安時代(794年~1185年)に再建された法隆寺の大講堂がよく知られています。講堂で講義する際には本尊(仏像)を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂(本堂)よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
●談山神社神廟拝所は桁行五間・梁間四間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
談山神社

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