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談山神社総社・談山神社見どころ(修学旅行・観光)
談山神社総社(惣杜)
●談山神社総社(惣杜)は本殿が1977年(昭和52年)1月28日に国の重要文化財に指定されました。
●談山神社総社(惣杜)は本殿が江戸時代前期の1668年(寛文8年)に談山神社の本殿として建立され、1742年(寛保2年)に現在の場所に移されました。総社はかつて平安時代中期の926年(延長4年)に創建され、国内最古の総社とも言われています。総社は天神地祇(てんじんちぎ)・八百万神(やおよろずのかみ)を祀っています。
一般的に総社は多くの神社から祭神を一ヶ所に勧請(かんじよう)して祀った神社です。総社は平安時代に祭祀・参拝などの便宜の為、国司(こくし)が多くの神社から祭神を勧請して、国司が政務を執る国府の近くに祀ったのが起源です。国司は古代の律令制で、着任後の最初の仕事として神社を巡って参拝することであったと言われています。
天神地祇は天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)、全ての神々です。天津神は天照大神(あまてらすおおみかみ)を主宰神とする高天原(たかまがはら)にいる神々と高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)に天降った神々の総称です。国津神は高天原と黄泉の国(よみのくに)の間にある葦原中国に現れた神々の総称です。天津神には造化三神(天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)・神産巣日神(かむむすひのかみ))・天照大神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・神世七代(かみのよななよ)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、国津神には大物主神(おおものぬしのかみ)・猿田彦神(さるたひこのかみ)・大国主神(おおくにぬしのかみ)やその御子神・配偶神などがあります。
八百万神は全ての神、数多くの神のことです。八百万神は古代日本で森羅万象(しんらばんしょう)に神の発現を認める神観念を表す言葉とされています。
一般的に本殿は祭神(神霊・神体)を祀る建物です。本殿は神殿とも言われ、古くは正殿・宝殿とも言われていました。なお本殿が内陣と外陣に分かれている場合、内陣に祭神が祀られ、外陣は献饌・奉幣の場として使われます。
●談山神社総社(惣杜)は本殿が三間社(さんげんしゃ)隅木入(すみぎいり)春日造(かすがづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
談山神社